ERB評論集 Criticsisms for ERB


厚木淳「<火星シリーズ>冒頭3部作の評価」

創元推理文庫火星の大元帥カーター(新)解説より

1979.3.9


 火星シリーズ2巻の成功によって、作者バローズはその続編の執筆を「オール・ストーリー・マガジン」の編集者から督促されることになった。特にデジャー・ソリスが生死不明のまま最後を迎えた第2巻の読者からの要請も激しいものがあった。そこでバローズは1913年6月7日に筆を起こし、擱筆したのが7月8日、正味1箇月という短期間のうちに、文字どおり一気呵成に本書を書き上げたのである。原稿当時の題名は「へリウムの王子(プリンス)」であったが、同年12月号から翌1914年3月号にかけて「オール・ストーリー」に連載された時には「火星の大元帥」と改題された。単行本として出版されたのは1919年。
 火星シリーズ全巻の中では冒頭の1,2,3巻が三部作を成している。すなわち、カーターの火星到着、デジャー・ソリスの誘拐、彼女の救出という三段階で、ここでヒーローとヒロインは波潤万丈の冒険の果てにハピー・エンドを迎える。この三部作が、ERBの全作品中でも最高の間然するところがない名作であることは、すでに定評がある。そして作品の完成度があまりにも優れているところから、もしバローズが火星シリーズを冒頭の三部作だけに留めておいたなら、SF史上における彼の評価はもっと上がるのではなかろうかという逆説的な仮定、というか設問が生じてくるゆえんでもある。事実、「へリウムの王子」と題した原稿には、「ジョン・カーター最後の火星物語」 The Last of the Jhon Carter Martian Stories という副題が添えられていたところから見て、作者自身も、当時はそのつもりでいたのだろう。しかしシリーズとしての人気が高まるにつれて、読者の慫慂もだしがたく、延々全11巻の大河シリーズへと発展することになってしまった。冒頭の三部作が傑作中の傑作であることは、誰しも異論のないところであろうが、しかし、だからといって後続の巻を無視してよいものか、どうか。
 例えば次回の第4巻では、ERBの想像力が生んだ傑作の一つ、精神の念力から生じたロサールの幻の弓兵隊が大活躍するし、第5巻では、頭と胴体がそれぞれ別箇の存在であるバントゥーム族という怪生物が主役を演じる。いずれも一読して、忘れがたい印象を残す名作であり、着想の妙と話術の巧みさについても、三部作に比べていささかの遜色もない作品と思えるのである。
 ところで、ERBの国際的な評価を示す一例として、つぎの事実をお伝えしょう。第二次大戦後にアメリカ本国ではバローズの全作品が爆発的にリヴァイヴァルしたが、時を同じくして1960年代の初めに、オクスフォード大学出版部から国語教科書用テキストとして発行されている「ストーリーズ・トールド・アンド・リトールド」という権威あるシリーズの中に「火星のプリンセス」がいちはやく収録されたのである。ちなみにこのシリーズに収録されている作家は、ディケンズ、シェイクスピア、デフオー、スティヴンスン、ドイル、ウェルズ、サバチニといった錚々たる顔ぶれである。
 なお、本件のタイトルについて一言したい。Warlord (ウォーロード)というのは、辞書によるとカイゼル・ウィルヘルム二世当時のドイツの将軍とか、中国の督軍とかいう訳語が載っているが、どうも日本語としてはしっくりこない。ふつうの将軍ならGeneral (ジェネラル)でこと足りるだろう。日本的な語感からすると、まず戦国大名、封建領主、ついで征夷大将軍という言葉が浮かんでくる。征夷大将軍は逆徒征伐の総大将として兵馬の権を握り、鎌倉時代以降、代々の政権も執った武門最高の称号である。ただ「征夷大将軍ジョン・カーター」では、語感の古めかしさの点で、いささか抵抗がある。さらにいうならば作者バローズは Warlord (ウォーロード)を王者の中の王者、火星唯一の最高位として、諸国の皇帝(ジェダック)のさらに一段上に置いているのである。その点からすると、征夷大将軍は武威はあっても宮廷の最高位とはいえない。その上には左右の大臣や、太政大臣あるいは関白などがいたわけで、位階の高さの点でもものたりない。結局、旧憲法下の日本の天皇が陸海軍の統帥権を握って大元帥陛下という称号を使っていたので、それにならって大元帥という訳語をあてることにしたが、これもしょせんは便宜的なものである。後続の巻を読み進む上で、ジョン・カーターが単なる一将軍ではなく、皇帝(ジェダック)たちの上に君臨する称号の持ち主であることを、読者の念頭に置いていただきたいので念のため書き添えたしだいである。

注:この文章は厚木淳氏の許諾を得て転載しているものです。


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 最終段落(Warlordに関する解説)は、厚木訳版の初版にはなかった部分である。今手元にある6版の時点では所載されているので、掲載した。後に刊行されたERBファンの作者が書いたファンフィクション『ジューマの元帥たち』の厚木淳氏の解説でこの部分が語られていて、不思議に思っていたのだが、これで謎は解けた。
 ちなみに合本版でもこの部分は存在する。

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