ERB評論集 Criticsisms for ERB


厚木淳「バローズ――ルポフの火星幻想」

東京創元社バルスーム――バローズの火星幻想解説より

May 1982


 本書の参考文献にもあげられている Explorers of the Infinite の中で、サム・モスコヴィッツがおもしろいことをいっている。それを設問の形に変えると、こういうことになるだろう。つまり、人類のイマジネーションが生んできた世界の文学作品のヒーローの中で、もっとも知名度が高いのは誰か? というのである。これはクイズとしてもおもしろいので、わたしもときどき友人相手に試みることがある。ルポフが17頁であげているレオポルド・ブルームでないことだけは確かだが、はたして誰だろう? 曰く、ドン・キホーテ、曰く、ハムレット、曰く、ダルタニアン、曰く、キング・コング(これは人間ではないから失格)と、回答は十人十色で興味尽きないが、モスコヴィッツによる正解はターザンである! 第2位がシャーロック・ホームズ。なるほど、3歳の童子といえどもこれを知る、という表現からすれば、この両者に比肩するヒーローはいないだろう。ホームズは名探偵の代名詞として、またターザンは野性主義の化身として、知名度の点にかけてはドン・キホーテもハムレットも、とうていその足元にも及ぶまい。しかし、シャーロック・ホームズの作者は? と質間されて、作者名を即答できる者となると、その数は 千分の一か万分の一に滅るだろうし、ターザンの作者名を知る者に至っては万分の一にも達しないかもしれない。世界一有名なヒーローを創造した栄光の作者として、バローズはこれを喜ぶべきなのか、はたまた悲しむべきなのか?“バローズは大勢の熱烈なファンをつくりだしたが、残念なことにその大半は映画や漫画や、その他、彼の作品の脚色などを通じてできたファンであり、彼らはバローズの原作の内容をろくに知らないのだ! 彼らは胸を叩いてはね回り、ハリウッド製の猿人の雄叫びのまねはするが、辛辣で鋭い風刺家を、しばしば低級な冒険小説家だと誤解している”(180頁)というルポフの慨嘆は事実である。しかし、すぐれた人間像というか典型というものは、作者の手を離れて勝手に1人歩きするようになるのが世の常であり、誤解されない大作家はありえない、という逆説もまた成立する。
 さて、ルポフが本書でとりあげた主題は、そのバローズが書いたターザン・シリーズではなく、もう一つのシリーズ、バルスームとジョン・カーターの物語である。その理由は、本書の読者にとっては自明の理であろう。火星シリーズこそはバローズ最大の傑作であり、SF文学史上逸すべからざる作品であるからだが、理由はそれだけにとどまらない。不可思議な魅力があるのだ。読後、10年20年たっても、頭の一隅にその感銘が薄れずに残っているという、名状しがたい魅力。ルポフが本書を執筆した動機は、まずそこからスタートしたはずだが、もう1つある。全国各地に発生したバローズのファン・クラブ。そんなファン・クラプを持つSF作家や推理小説家がほかにいるだろうか? しかも彼ら――ファン、マニア、ビブリオファイル――は、10代20代の青少年ならいざ知らず、小鬢に白いものがまじった中年や、頭の禿げあがった老人に至るまで、ことデジャー・ソリスやジョン・カーター、あるいはジェッタンや幻の弓兵のことになると喧々囂々、百家争鳴の観を呈するのにひきかえ、批評家たちの比較的冷淡な反応。この乖離はなぜか? という疑問も、これまたルポフの執筆の動機 となったにちがいない。
 著者がいうとおり、バローズの作品研究として本書は初めての書物であり、分析と評価の視点は、“彼の作品によってわれわれは彼の人物を知り――そして彼の人物によって、彼の作品を知る”という、人と作品の同一性に置かれている。そしてルポフのこの視点によって、本書の読者は実に多くの新鮮で意表を突く啓示を受けることになる。その中でも注目すべきものは、まずつぎの3点であろう。

 こうした鋭い洞察に基づいてルポフはバルスーム分析の筆を進め、その神話のような真実性を解明していくが、その筆致は冷静な批評家の客観的な解説ではない。そもそも、子供の頃の童心に支えられた情熱がなくしては、バローズ論のようなものは書けないのだ。“緑色人が舞台にいるあいだは、すばらしいショーが展開された。三輪車を引くマンモスのジティダール、獰猛なソートに乗った身の丈5メートル、6本肢の蛮族、風になびく旗、揺れ動く槍や銃身の長いライフル、まさに緑色人の絢爛豪華な行列絵巻こそは、ある種の読者にとって、依然としてバルスームの縮図なのである”(140頁)といった文章を読むと、ああ、やはりミスター・ルポフも、火星シリーズが好きで好きでたまらないファンの1人なのだということが暗黙のうちに伝わってくるのだ。しかし評価という点になると、彼はけっしてひいきの引き倒しに終わることはない。シリーズの9巻「合成人間」などはかなり手厳しく槍玉にあげられている。“バローズはすばらしい才能にめぐまれた名手ではあるが、しかし舞台の袖には、いつもバルプ・マガジンの因襲がうろついていて、隙あらば舞台中央に躍り出ようと待ちかまえ ているのだ”(112頁)といったバローズの作風の潜在的欠陥を突く痛烈な批判はその一例である。
 さらに分析と評価のみにとどまらず、ルポフの視点はユーモラスな揶揄や皮肉となって随所に現われている。“デジャー・ソリスの面長の顔はジョン・カーターの目に単に美しいと映ったわけだが、緑色人だけの集団の中で暮らしたあとでなら、どんな醜女でも美人に見えただろう”(146頁)とか、血統の原則を論じて、“もし相手が貧しい百姓の娘だったら、はたしてジョン・カーターは緑色人の手からわざわざ救出しただろうか?(160頁)とか、“かりに二等兵が寒冷な心霊旅行をしたとしても、十中八九、どこか名門の国王(ジェド)の軍隊に徴募された、しがない放浪の戦士(パンサン)になるのがおちであろう”(204頁)といった指摘ほど、火星シリーズのファンを苦笑させるものはあるまい。
 ジョン・カーターの物語は、バローズが生涯で書いた最初にして(「プリンセス」)最後の(「骸骨人間」)作品である。これは偶然なのか? いや、ちがうと、ルポフはいう。ジョン・カーターとバローズは宿命の絆で結ばれていた。ありとあらゆる職業に失敗してシカゴの安アパートに坤吟する、みじめな中年男。この人生の落伍者にとって、残された道は二つしかなかった。自殺するか、それとも白昼夢の中に自己を埋没して現実から逃避するか。彼は後者の道を選んだ。そして発表のあてもなく、原稿料がもらえるあてもなく、ただただ自己の幻想世界を創るために死物狂いになってバルスームの物語を書いた。まさに鬼気迫る情景であり、火星シリーズが持つ不可思議な魅力が生じるゆえんでもある。ルポフはこの推測を裏づける証拠として、“バローズはジョン・カーターを自分の親戚だとはっきり認めているが、この血族関係は、彼が他のヒーローの誰にもあたえなかったものだ”(102頁)と喝破している。この指摘は、本書の中でも1番重要な問題提起であろう。読者が、単に作者の創作上の技巧の1つとして筒単に見すごしてしまうような事実をとらえて、バローズの創作の秘密の核心 に一気に追ったルポフの慧眼には脱帽せざるをえない。

 著者リチャード・A・ルポフの略歴を記す。1935年ニューョーク生まれ。1956年マイアミ大学で文学士号を取得。その後IBMなどのコンピューター会社に勤務(本書の7章、人工頭脳とコンピューター制御システムの項は、彼の専門分野に属する)。その間、カナベラル・プレス社の編集長を兼務してバローズの作品を多数ハードカバーで刊行し、1960年代のバローズ・リヴァイヴァルの立役者となった。ルポフは本書の構成にさいして、まず1950、60年代の出版界の情況から筆を起こしている。これは作家=作品論としては異例のことだが、バローズのリヴァイヴァル現象を説明する上では実に効果的で、そこに働いているのはやはり編集者の感覚であろう。70年以降は会社をやめてフル・タイム・ライターとなり、長短のSF作品や研究書を発表し今日に至っている。SFでは、古代日本神話の英雄、須男佐之男命や大国主命と八岐犬蛇に取材した「神の剣悪魔の剣」(創元推理文庫)が紹介ずみであり、それに付された日本版への序文には、アメリカの作家と出版社の、日本のとはまったく異なる取引き関係の一端をうかがわせる部分があって興味深い。
 なお、本書の目次は原書にはなく、訳著が索引がわりに作成したものである。したがって、あくまでも便宜上のものとお考え願いたい。また本文中の引用文献の原題は、世紀末前後の大半が未訳の古典的作品にかぎった。それ以降の作家、作品名は周知のものが多いからだ。
 ロイ・クレンケルはバローズの作品のイラストを多数描いているアメリカの画家であり、故武部本一郎は今さら紹介するまでもなく、創元推理文庫版の表紙とイラストを手がけた画家である。日米それぞれを代表するバローズ=イラストレーターの絵で本書を飾ることができたので、読者の方々にも喜んでいただけるものと思う。念のため記すと、4、5、6、21、35、80、126、141、171、217、246、253頁のイラストがロイ・クレンケルで、その他が武部画伯の絵である。
 最後に、参考のためにアメリカ本国のバローズのファン・クラブの所在を記す。60年代には同人誌を発行して活動をつづけていたものだが、現在の情況は不明である。

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注:この文章は厚木淳氏の許諾を得て転載しているものです。


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