ERB評論集 Criticsisms for ERB


野田宏一郎「ターザンと地球空洞説」

ハヤカワSFシリーズ地底世界のターザン解説より

Aug.1968


 孫悟空とスーパーマンが一致協力して暴れまわったらさぞや面白い話がでぎるだろう――とか、リチャード・シートンがレンズ・マンになったらどうなるだろう、みたいなことは、SFファンならずとも一度や二度は考えることであろうが、これが本当に実現したのがこの『地底世界のターザン』なのである。従ってこの作品はペルシダー・シリーズの第4作であると同時に、ターザン・シリーズの第15作目にあたるわけでもある。
 エドガー・ライス・バロウズの名を知らぬ人は多くとも、おそらくターザンを知らないという人はまずないだろう。邦訳されたものもたくさんあるのだが、いずれも第1作から3、4作目までに尻つぼまりになっておわり、今日までのところ完訳されたものはまだ出ていない。
 バロウズがターザン・シリーズの第1作 『類猿人ターザン』"Tarzan of the Apes" をオール・ストーリー誌に発表したのは1912年の10月、つまり火星シリーズの第1作『火星のプリンセス』が世に出てから半年後のことである。
 イギリスの貴族、グレーストークの旧領主であるクレートン卿は若い妻アリスを伴って1888年5月、任地であるアフリカへ向けてドーヴァーを出帆するが、乗船フウォルダ号の船員たちが叛乱をおこして上級船員たちを殺害してしまい、夫妻は当座の食料をもらっただけで人跡未踏のアフリカの一角に置き去りにされてしまうのである。二人はそこに掘立小屋を建てて細々と暮らすうちに一人の男の子が生まれる。だがある日のこと突然襲いかかってきた類人猿のために発狂してしまったアリスはついに一年後父子をのこして息をひきとってしまうのだった。
 話かわってここはジャングルの真っ只中――ポス猿カーチャックにひきいられた類人猿の一団は、とある海岸の近くで小さな小屋をみつけこっそりとしのびこんでみると、泣き叫ぶ嬰児の傍に人間の男が一人なすすぺもなくぼんやりとつっ立ている。カーチャックが難なくその男を締め殺してあたりをかきまわし始めたとき、つい先日子供を失ったばかりの牝猿カラは泣きわめく嬰児をふと抱ぎあげたのであった……。
 これが密林の王著ターザンの生い立ちである。

 ジョン・カーターやデヴィッド・イネス、あるいはカースン・ネイピアがいくらみんなの人気者だといったところで、一般的な意味ではとてもターザンにかなうものではない。この天下の人気者ターザンがペルシダー・シリーズに登場したのは1929年の9月、ブルーブック誌上で、前作『戦乱のペルシダー』が出た6ヵ月後のことであった。

 地球が空洞になっていて、そこにもうひとつの世界があるという発想は意外と古くから存在している。たとえば、ハレー彗星で有名なエドマンド・ハレーがこの説を発表したのは1692年のことである。彼は地磁気の微妙な変化の原因をこの空洞説に求め、地球内部に存在するもうひとつの球体との自転連度のずれがその原因ではないかと考えたのだった。
 このハレーの他にも、スコットランドの有名な物埋学者J・レスリーや、数学者としてひろく知られているオイラーなど、似たような説をとなえている人は多いが、バロウズがじかに影響をうけたと考えられているのはアメリカ人のJ・C・シムスという政治家である。アメリカ独立戦争の際に非常な活躍をした人物だという。彼の説は、地球内部にあるもうひとつの世界と我々の表面の世界とが南北両極にある大穴によってつながっているというのである。彼はこの説をもとにして北極探検を意図しアメリカのみならずヨーロッパにまで大きな反響をひきおこした。1818年のことである。賛香両論、さまざまな論議を呼ぶうちに、この企画に目ざとくのってきたのはロシア皇帝であった。当時のシベリヤといえば未踏の地、ひよっとするとこの地続きになるかもしれない北極に本当に大穴が開いて地底世界につづいているとすれば、そこはみんなロシア領ということになる……。ロシア皇帝は彼へ招請状を送り探検に必要な経費を全額支出すると提案したのである。だが残念なことにシムスは健康を害してしまい、2年後にはついに49歳の若さでこの世を去ったのだった。
 この地球空洞説はその後になっても根強くあちこちで主張され、1920年に発表されたマーシャル・ガードナーのものはとくに有名である。また戦後になってレイモンド・バーナードが発表した説によれば、かの空飛ぶ円盤こそこの内部世界の住人の乗り物なのだという……。また南極探検で右名なバード少将は乗機ごとこの空洞内にまぎれこんだことがあり、アメリカ空軍は目下極秘裡に地下世界との連絡をとりつつある……というとどうやら話もおかしくなってくる。
 板子一枚下はなんとやら――まだまだSFのねたは尽きそうにない。まことに心ふくらむ思いではある。


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