ERB評論集 Criticsisms for ERB


小笠原豊樹「バローズの理想像」

角川文庫『火星のプリンセス』解説より

31 Jul.1967


 E・R・バローズの「火星シリーズ」を知らない人でも、同じ作者の「ターザン・シリーズ」なら、すでに映画やテレビでおなじみだろうと思う。あのターザン――ジャングルに住み、めっぽう強くて、正義派で、自分のことをT(私)と言わずに「ターザンは……する」などと奇妙に舌たらずの三人称で語り、美人の細君とジャングルの動物たちをこよなく愛している男――オリンピック選手だったワイズミュラーなどが演じて忘れられない印象を残したあのヒーローの創造主が、すなわち本書の作者バローズである。
 エドガー・ライス・バローズ Edgar Rice Burroughs は1875年にシカゴで生まれ、1950年、75歳で亡くなるまでに、20冊あまりのターザン物、10冊の「火星シリーズ」、そのほか金星や月や地底やアメリカ西部を舞台にした数多くの小説を書いた、非常な多作の作家である。それらの作品のなかで一番有名なのが「ターザン・シリーズ」と「火星シリーズ」で、アメリカでは初版以来多くの版を重ね、1963年に「火星シリーズ」がポケット・ブックの双書「バレンタイン・ブックス」に収められてからは、パローズのファンは更に広い層にまで拡がったようである。
 本書「火星のプリンセス」 A Princess of Mars はその「火星シリーズ」の記念すべき第1作で、1912年「オール・ストーリー・マガジン」という雑誌に「火星の月の下で」Under the Moons of Mars なる題で連載されたのち、1917年に現在の題名で単行本として出版された。これが好評を得たので、バローズは同じ雑誌に第二作「火星の女神イサス」、第三作「火星の大元帥カーター」を書きつづけ、こうして「火星シリーズ」が誕生したわけである。
 このシリーズの主人公はジョン・カーターといい、めっぽう強くて、美女や動物をこよなく愛するところはターザンにも似ているが、ターザンと違う点は、この人物が元職業軍人であり、南北戦争が終ると同時に職業と収入を一挙に失い、しかもアメリカ南部の有産階級のよき伝統――いわゆる紳士階級の騎士道精神を失わぬ人間として描かれていることである。たとえばマーガレット・ミッチェルの「風とともに去りぬ」に描かれている諸人物や状況を思い出してみれば、ジョン・カーターのような主人公が生まれた背景が理解しやすくなるかもしれない。バローズの父親は南北戦争中、南軍の少佐で、バローズ自身も第一次大戦には陸軍少佐として応召している。こうしてみるとジョン・カーターは作者バローズの理想像であったと言えるだろう。作者は、アメリカ南部の出身者が南北戦争後に失われたと感じた精神的諸価値への郷愁のようなものからこのヒーローを創造したに違いないのだが、それはまた異常な経済発展の渦中にあって人間的なものの喪失にひそかな不安と恐怖を覚える大多数の大衆が夢みる英雄でもあったわけである。ジョン・カーターは、したがって、何よりもまず精神的な男であ り、打算や損得勘定を嫌うという特質を持っている。

 私は自分には英雄の素質がそなわっていないと思う。なぜなら、私はいくたびとなく自分から進んで死に立ち向かったことがあるが、いつの場合にも何時間もあとにならなければ、そのときの自分の行動にかわる別の手段があることに思い至ったためしはないからだ。どうやら私はめんどうくさい思考作用などには頼らず、なかば無意識のうちに義務感の命ずるままに活動するような頭の構造にできているらしい。それはともかく、私は自分が臆病になれないのを悔んだことは一度もない。(本文21頁)

 ここで主人公が「めんどうくさい思考作用」と呼ぶものは、すなわち近代的・合理主義的な考え方のことであり、それとは縁遠いと自ら宣言する主人公(作者)が空想科学小説(サイエンス・フィクション)の分野に入りこんでいったことは、たいそう興味ぶかい事実である。これは失地回復の望みを断たれた南部人の胸にひそむ新天地開拓の夢が、火星や未開の密林や地底や月世界という舞台を借りて、このようなかたちで発現したとみることはできないだろうか。少なくともジョン・カーターという人物の意外なほどの現実性がこのシリーズの成功の原因の一つであることは疑う余地がないと思う。そして以後のSF、殊にスペース・オペラと呼びならわされた宇宙冒険物語に、いつも極端に異なる二つの傾向――科学の面での発明や工夫に最大の興味を抱く技術者的な明るい傾向と、古いゴシック・ロマンふうの異常で狂暴な筋立や多少デカダン的な詩情を好むむしろ暗い傾向とが、ぴったり貼りついて同居していることもまた事実であろう。この「火星シリーズ」はそのような傾向のはしりなのである。
 ところで、1912年頃の宇宙科学一般の水準や、火星にかんする知識は、今日と比べて遙かに低かったから、この物語のなかのサイエンスの部分が今回の読者には時としてお粗末に感じられることがあるかもしれない。火星における数々の科学兵器や科学的設備のアイデアは恐ろしく先進的ではあるけれども、それにしても、たとえば主人公がアリゾナから火星まで「あこがれ」の力だけで飛んで行く場面は、どんなにパローズに好意的な読者でも失笑してしまうだろうと思われる。だが、それを補って余りあるのは、作者の強烈な想像力が描き出した火星の光景である。バローズが想像した火星は弱肉強食の――ターザンの物語におけるジャングルのように――部族社会であって、たぶん地球上の未開民族の生態にヒントを得たのだろうと類推される「火星人」たちのしきたりや風習は、科学的真実が欠落しているためにかえっていっそうの奇妙な現実性をもって私たち読者に迫ってくる。そしてバローズの筆致は、ロマンチックな内容とは裏腹に、たいそう論理的であり、記録文学のように冷静である。この点にも「火星シリーズ」がSFの古典として名誉ある地位を保つ理由があるのだろう。
 何はともあれ、きわめて男っぽい男ション・カーターの勇敢な大活躍や、絶世の美女デジャー・ソリスとの哀愁昧を帯びた恋の一部始終を読むことは、矮小な事物にわずらわされることの多い私たち現代の読者にとって、まことに一服の清涼剤である。いわゆる古き良き時代への郷愁とともに、新しい未知なるものへの飽くことを知らぬ挑戦と、幼児のように素直な賛嘆の心とはこの「火星シリーズ」の生命の長さを保証しているもののようである。


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