エッセイ Essey for ERB's world


ERBからのメッセージ――石器時代へ還れ!

written by Hide

May 12,1997


 『石器時代へ還れ』"Back to the Stone Age"というのは、〈地底世界シリーズ〉第5巻の原題である。実はこのシリーズこそがバローズのもっとも好んだ世界ではないかと感じているので、そのことについて記してみたい。
 〈地底世界シリーズ〉が書かれたのは1914年。ターザンは第2巻、火星は第3巻と、主要2シリーズの冒頭を飾った連作が完結した直後のことになる。処女作以来の人気作に一応のピリオドをつけ、この間に得た反響からSF的なものに興味を移しつつあった(この間、『モンスター・マン』、『石器時代からきた男』と古典的テーマを扱ったストレートなSF作品をものにしている)バローズが満を持してSFシリーズを書き始めた、というのはあながち邪推でもないだろう。
 ここで誤解のないように付け加えておくと、〈火星シリーズ〉はSFというよりはファンタジーである。ジョン・カーターが向かった先が火星であることの必然性は Mars がローマ神話における軍神であるという点にしかなく(ウェルズの『宇宙戦争』や赤い惑星にまつわるおどろしい伝承も影響は与えたのだろうが)、火星への渡航手段も「テレポーテーション」といえば聞こえはいいが、肉体は地上に残し、魂だけが旅立ったあげく、肉体が再生されるなど、ホラー的な夢物語を語らせている設定である。4巻以降はSF性が増しているが、この時点ではバローズ自身、SFとしては書いていなかったと思う。
 『モンスター・マン』でマッド・サイエンティストを登場させ、『石器時代からきた男』でタイムスリップを導入したバローズは、〈地底世界シリーズ〉に至ってSF的な道具立てを、「地球空洞説」の採用と、渡航手段として近未来的なメカニックである「金属モグラ」を登場させることで実現させた。怪物としても空想上の妖怪のような生物ではない、古生物を持ち出した。ウェルズ、ヴェルヌ、ドイルらの影響は否定できないが、これは決して剽窃などではなく、そういった作品にインスパイアされた上にバローズの構想が広がった結果としてみるのが正しいだろう。
 さらにバローズは主人公としてスポーツ万能で義侠心に厚い、典型的なヒーローであるデヴィッド・イネスと、愛すべきお調子者であると同時に誰よりもデヴィッドを愛する知恵の固まりであるアブナー・ペリーを設定した。冒険担当と解説担当といった役割分担もあったかもしれない。SF冒険小説である以上、設定を読者が理解しないことには空想の世界は広がらない。単なる冒険家では補えないだけの周到な準備をしたバローズの、自信の現れでもあるだろう
 さらにその世界観として、人類がより高度な知性によって支配されている世界を創造するのである。当然、人類は原始的な生活を送らざるを得ないことになる。ここまで来ると、もはや物語はできたも同然だった。地上から持ち込んだ科学知識を武器に、人類の知恵と勇気によって宿敵を倒し、人類が万物の霊長として君臨するキリスト教的「正常な」世界が樹立されていくことになるわけだ。これが、〈地底世界シリーズ〉の冒頭2部作の基本となるプロットである。
 人類が虐げられる世界を描きながらもその実、人類賛歌を書くことになるわけだが、これではシリーズとしては行き詰まるしかないのも当然だった。宿敵を倒して大団円を迎えた以上、もはや書くことはないのだ。1915年に第2作が発表されて実に14年間、ペルシダーは読者の視界から遠ざかっていたのも、必然だったろう。
 しかし、その世界は魅力的だった。恐竜と共存できる石器時代人類の地球。永遠の昼が続き、時間の経過がない世界。この中でも、特に石器時代というところに、バローズは惹かれていったと、私は考えている。
 開拓時代の名残が残る20世紀初頭は、支配者を倒し、自由と文明と富を手に入れるアメリカン・ドリームは現実に可能性のある夢であったに違いない。しかし、やがて帝国主義の行き詰まりから第一次世界大戦が勃発する時代になって、ターザンが成長した密林は戦車に蹂躙され、独立戦争で支配者を倒して自由と正義を勝ち取ったはずのアメリカ人もその輪に入っていく。本土でも、原住民族であるインディアンを虐待し、支配者として君臨する。
 こうなってくると、現代文明万歳、科学万歳ともいっておれなくなる。戦争が正義とは確信できないことは、戦争好きのバローズには耐えられない苦痛だったろう。ああこれが、もっと原始的な世界だったら。たとえば、石器時代であったなら。戦争といっても、自分と、その家族、または部族の仲間たちを守る、まさしく正義の行いであるし、農耕がなければ富の蓄積もなく、従って人に上下関係などない、平等な世界でもあるわけだ。文明は光と同時に影をも人類にもたらす。人類の本当の敵は爬虫類などではなく同じ人類なのだ、それならばいっそ、とバローズが考えたかどうかはわからないが、1929年に書かれた〈地底世界シリーズ〉第3作では、デヴィッドらが持ち込んだ科学文明はもはや無敵ではなくなっていた。野生の英雄ターザンを登場させた第4作、再び地上人をさまよわせた第5作と、バローズの原始時代信仰はますます強くなっていく。ここではもはや、敵は同じ人間であり、主人公らは自分と自分が守らなければならない人たちのためだけに戦い、むやみな殺生はしない。
 石器時代に、まあ拳銃くらいは持たせて主人公らの優位性は保証してやる。このあたりは開拓時代を知るバローズということで大目に見てやるとして、〈地底世界シリーズ〉が真の意味で開幕したのはこの第3作以降、そしてそのテーマは「石器時代へ還れ!」であることは、以上の理由から、間違いないと思われるし、この傾向はバローズのすべての作品に対してもいえることではないかと、思ったりもするわけである。

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