エッセイ Essey for ERB's world


君よ知るや南の島――キャスパックの世界観ミステリー

written by Hide

4 May.1998


時に忘れられた国 ERBといえば日本ではSF作家として知られているわけだが、その「SF」作家としての代表作をいくつかあげよ、といわれれば、まず出てくるのはこのキャスパック・シリーズと月シリーズの両3部作だろう。火星シリーズなどにも優れて先駆的なSF的アイディアの萌芽は見て取れるし、地底世界シリーズでの時間という概念の料理の仕方は「SFを理解してるなあ」という感じで好ましくもあるのだが、ひいき目抜きに優れたSFをあげよといわれればSF的アイディア、世界観、謎解きのすべての点において優れているこのキャスパックを推す。
 はじめてこの作品を読んだとき、巻をおくのももどかしく次の巻を手に取る、といった具合だったことを思い出す。感受性の鋭い中学生だったことは大きいと思うのだが、不思議な世界が紹介されながら、少しずつ謎が解き明かされていくその課程が何とも言えずゾクゾクするものがあって、夢中になって読んだ。学校でも友人をつかまえては語って聞かせる、といった調子。今思えば迷惑な話だが、それほどまでに惹きつける魅力を持った作品であった、ということだ。今回はその魅力に迫ってみたい。
 バローズが小説を書き始めた当初は、まだSFという概念もまとまってはいなかった時代で、当然バローズ自身もその意識は持たなかった。誤解を恐れずにいうと、『火星のプリンセス』だって後続の巻がなければ英雄ファンタジーの域を出るものではない。強いて従来のファンタスティックな作品群との差異をあげるとするなら、きわめて陽性の世界観を持っていた、ということは言えるだろうか。メリットやハガードの秘境ロマンスともハワードやラヴクラフトのおどろな世界とも無縁の、夢と希望と野心の物語。当然未来志向で、超科学も自然に登場した。決定的だったのは冒険の舞台に火星という現実の惑星を選んでしまったこと。ネヴァーランドのようなあいまいな世界ではなく、ウェルズがきわめて科学的な筆致で描いた世界と地続きのイメージがバローズと原SF界とを結びつけた。そしてそれらが鍵となって、黎明期のSFファンがバローズを選んだのだ。
 むろん、バローズの側にSF志向がなかったわけではないことは、これまでにも書いてきているとおりだ。あえて繰り返すなら、1910年代に発表された初期作品群を例にとっても、SFとしか言い様のない『モンスターマン』(ハヤカワ文庫SF、創元推理文庫版では『モンスター13号』)はあきらかにウェルズ『モロー博士の島』を意識して書いているし、ヴェルヌの影響を否定できない〈地底世界シリーズ〉もこの頃スタートしている。そして、コナン・ドイルの『失われた世界』の影響下に書かれた作品が、この〈太古世界シリーズ〉、キャスパックものである。こうして初期作品群を並べてみると、バローズのSF乱読ぶりがよく見える。あきらかにバローズ自身、SFファンの素養の持ち主だったのだ。
 また、これだけ明らかに影響作を語れるほど、バローズは本歌取りが得意だったという見方もできる(ちなみにターザンはキプリングやハガードの影響)。そう、決して剽窃ではない、安易な模倣ではない、当時まだ未完成だったSF的作品群や秘境冒険小説群にインスパイアされながら新たな命を吹き込んだ作品群を、バローズは「創造」していた。それがもっともよくわかる作品でもあるのが、実はこのキャスパックなのだ。
 バローズが本作の執筆に取りかかったのは1917年(発表は翌1918年)。『失われた世界』発表の5年後のことである。ちなみに『地底世界ペルシダー』は1914年の作で、この時点ですでにバローズは恐竜が跋扈する古代世界に紛れ込んだ人間が高度の知性を持った異生物と対決するという作品をものしていたのだと思えばこれはこれで凄いことだと思うが、キャスパックはさらにその上を行く。ここでバローズが盛り込んだ味付けは「進化論」である。宗教的タブーに果敢に挑戦し、読者の意表をつく展開には作者の才気を感じざるを得ない。またこの種のテーマが本能的にSFファンに受けるテーマであるということを嗅ぎ取ったその臭覚にも賛辞を送りたいが、本稿の主題からはずれるのでこれについては今回は掘り下げない。
 ともあれ、この時点で、すでにバローズはドイルを超えていた。『失われた世界』がなんだ? あんなの、単なる秘境冒険小説じゃないか。シャーロック・ホームズがなかったらまずは残らない作品だと、ここでは断言してしまう。それほどに、バローズの作品は優れている。
 まずは3部作という形式である。なぞの島に偶然漂着した男女のロマンスを軸に謎との邂逅を描いた第1部。第1部の主人公を捜索に来たヒーローが島の謎に深くかかわる美女と接触する第2部。ここまでにいくつかの謎の解明と新たな謎の登場をみて、読者は作中に引き込んでおいて、ついに第1部から登場しているメンバーの一人が謎の核心に乗り込んでいく姿を描く第3部が披露されて、すべての謎の解明とそのあまりに衝撃的な事実、さらにそれらを包括する壮大なアイデアに圧倒される、という趣向である。この計算され尽くしたといいたくなる構成がすばらしい。〈火星シリーズ〉にせよ〈地底世界シリーズ〉にせよ、当初は続編を想定していなかったところから無理矢理3部作なり2部作なりに仕立て上げられたことによる筋の破綻はそこかしこにみられるわけだが、このキャスパックにはそれはない(〈月シリーズ〉は別の理由でバラバラな作品群になっているが、それについてはまたいずれ別に稿を起こす)。
 そして次に幾重にも掘り下げられ、張り巡らせられた謎、すなわちアイディアの妙である。これがまたすばらしい。このすばらしさは読んでもらうしかないのだが、あえて断片的に述べるならば、地球上の生命進化を一生のうちに再現する生命体の創造であり、人類の次の形態を描き出していることであり、さらにその新人類が抱える本質的矛盾と現人類との避けられぬ抗争、そこから産まれいでた新人類の姿である。このどれひとつをとっても十分にすばらしいSF作品が賭けるであろうアイディアを、バローズはすべてこの3部作に放り込んだ。それも、バラバラに埋め込むのではなく、相互に関連づけて。
 ここまでいえば、もういいだろう。ここに書かれたストーリイは、なるほどいわゆる〈バローズ・タイプ〉のありふれた冒険ロマンスの繰り返しだが、描かれた世界を包む世界観はあきらかに高度なSFのそれなのだ。〈ロストワールドもの〉としてくくられて評価されることの多い本作だが、決してそんな小さな枠に閉じこめられるべきではないし、きちんとSFとして評価されるべきだ。なにせ、『幼年期の終わり』をも凌駕すると思われるアイディアさえ詰め込まれているのだから。
 ちなみに本作はハヤカワ・創元では現在、書店の店頭で買える唯一のバローズ作品となっている(『類猿人ターザン』はまだあるかもしれないが、目録からは消えているので近い将来、流通から消えるはずだ)。また、バローズの非ターザンものとしては珍しく2本もの映画が撮られており、脚本にはあのマイクル・ムアコックも参加している。これらの事実は本作に対するSF界からの高い評価が確かに存在することの明らかな証左ではあるまいか?

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