エッセイ Essey for ERB's world


ヒーローは超能力者!?

written by Hide

19 Jul.1998


『金星の魔法使』 ヒーローに超人的な能力はつきものである。スーパーマンなどを例に出したりはしないが、ターザンだったら大型類人猿の能力だし、ジョン・カーターだったらその剣技と地球人の筋力である。デヴィッド・イネスなら地上の文明の産物であろう。しかし、バローズの主人公達はそういった異世界において彼らの優位性を保証する能力以外にもとんでもない能力を持っていることが多い。
 それは何か? それぞれの作品の冒頭に「はしがき」として書かれた導入部を読み返してみればそれはわかるだろう。そう、彼らヒーロー達は何らかの手段で語り手であるバローズに自らの冒険譚を伝えており、それによって彼らが登場する作品群は一人称によって語られることとなるのだが(ターザンものは三人称小説なのでここでは相手にしない)、そこで使われる手段はほとんどが彼らの超能力によるものなのだ。ジョン・カーターのテレポート、カースン・ネーピアのテレパシー、ジュリアン一族の輪廻転生。デヴィッド・イネスの物語は地上人の訪問パターンが多いので目立たないが、強いていうなら〈金属モグラ〉の存在だろうか? それらは優れた超能力であるのだが、彼らはその能力を冒険の場で使うことをしない。ただバローズに自らの冒険譚を伝えるためにのみ、使用する超能力なのだ。ただ一度の例外をのぞいては。
 考えてもみてほしい。ジョン・カーターはあらゆる惑星間を自由に行き来できるまでにその能力を高めてさえいるというのだ。だとしたら、なぜその能力を実戦の場では使おうとしないのだろう? どのような危機に見舞われても、テレポートで脱出できる。サリアやサスームにデジャー・ソリスが誘拐されたとしても、危険を冒すことなく彼女を救うことが可能だ。それだけの能力を、ジョン・カーターは持っているのだ。
 同様なことは他もヒーロー達にも言える。デヴィッド・イネスがペルシダー到着後も鉄モグラを駆って探検を続けていたら? ペルシダー帝国はサリを中心とした地底世界の一地方にとどまることはなかっただろう。では、カースン・ネーピアは?
 ここで、我々は唯一の例外に突き当たることになる。バローズの4大シリーズのひとつのヒーローであるカースン・ネーピアは、彼の通信伝達のための能力であるテレパシー(というか精神感応の能力か?)を一度だけではあるが、実戦に応用しているのである! 作品名は「金星の魔法使」。作家としての第一線をのき、悠々自適の隠居中(といってもハワイで従軍記者として奮闘していた時期だが)の1940年代に執筆した作品だ(発表されたのは死後10年以上を経たバローズ・リバイバルのさなか)。私的にも、2度目の離婚をし、失意のもとにアメリカ本土を離れてハワイに移住していた。バローズとしては、ひとつの大きな転機にあたっていたことは事実だ。だからここに、我々はバローズの作風の変化、いや変化志向を見ることができる。しかも長さはヒーローの冒険を描くには短すぎる短編の長さ。バローズは変わろうとしたのだ。
 この時期のバローズの作風は確かにそれまでの流行作家として書きまくっていた時期のものとは一線を画すことができる。ジョン・カーターはバルスームを離れているし(「木星の骸骨人間」)、ターザンだってジャングルを離れた(「ターザンと難船者」)。バローズが彼をもてはやしたアメリカ本土を離れたように。長編を一気に書きあげる体力を失ったかわりに、連作中編集の形で本の体裁を形作るテクニックを得たバローズは、マイペースの創作をおこなうようになって、逆に自らを客観的に見ることができるようになっていたのかもしれない。ヒーローが不可分であるはずの活躍世界を離れるという着想を持ち得たバローズにとって、超能力を持ちながら実戦では使わないヒーロー達の姿はおかしなものに映ったに違いないだろう。
 もうひとつ、読者や他の作家、評論家らの意見も無視はできなかったに違いない。1940年代といえば、パルプマガジンが隆盛衰退を繰り返していた時代でもある。バローズの作品のファンならばE・E・スミスやエドモンド・ハミルトンらのいわゆる「スペオペ」も愛読していたに違いないのだ。ここではヒーロー達は宇宙船を駆り、超能力を駆使して様々なBEMらと奇想天外な冒険を繰り返していた。おきまりの惑星上で剣技を競うバローズのヒーローとはタイプが異なるとはいうものの、バローズ作品を踏み台に発展していたそれらのSF作品がいくつかの点でバローズ作品を上回る着想を持ち得ていたことは事実である。比較してバローズ作品を見たときに、それらの点は不満となって現れていたとしても不思議はないのだ。
 これらの問題に対し、バローズがだした回答が、「さい果て星のかなたへ」であり、「金星の魔法使」であった、とわたしは考えるのである。カースンは(元々ヒーローとしても物足りない部分の多いキャラクターではあったが)肉体的、ヒーロー的にはほとんど活躍せず、超能力によって敵を翻弄し、一方的にうち破ってしまう。ドゥーアーレーも登場しないこの短編で、カースン・ネーピアがやったことは流れ者の傭兵の役割だ。王の活躍ではないのだ。これは、当時はやっていた「スペオペ」のテクニックだろう。
 バローズのファンには物足りないこの活躍ぶりは、短編の長さであることを割り引いてもやはり旧来のバローズとはひと味もふた味も違うものといわざるを得ない。と同時に、ここでむくむくとあらぬ考えが湧いてでるのである。
 バローズがもう数年生きていたら?
 「金星の魔法使」で試したテクニックを、他の作品にも応用したに違いないと考えられる。たとえば、〈火星シリーズ〉。すでにバルスームを離れ、木星にいたっていたジョン・カーターが、次にテレポート能力を駆使して宇宙を跋扈し、超人的な活躍を続ける、といった離れ業が成り立っていたかもしれないのだ!
 まあそこまでいかないにしても、なんらかの変化球を投じていたであろうことは想像に難くない。
 バローズは常に現状の半歩先をいく作家だだから……
 そう考えると、75歳という没年は早すぎた感が拭いきれないのである。

end


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