エッセイ Essey for ERB's world


わが夢のERBサイト

written by Hide

31 Dec.1999


 1999年もあと数時間となった。この文章を読んでいただくのは、おそらく2000年のことと思う。2000年問題というものもあったが、今現時点においてもニュージーランドやオーストラリアなど、すでに2000年を迎えた先進諸国でさしたる問題は発生しなかったことが報じられているから、致命的な問題はなかったようだ。――もっとも、1ヶ月経ってから、身に覚えのない請求書が回ってくる、といった形での問題が発生する可能性はまだまだあるのだが。
 さて、1999年である。この年は、あとがきなどでは何度も書いたのだけれど、久しぶりにというか、バローズ復活の年となった。創元SF文庫からの〈合本版・火星シリーズ〉の刊行開始。また、新訳『ターザン』の刊行。NHK-BS2による『ターザンの大冒険』Tarzan :The Epic Adventure の放映開始。そしてディズニー・アニメ版『ターザン』の上映。多くのメディアで、バローズの名と彼の生みだした作品、キャラクターが連呼された。これは、ここ数年(10年ほどか?)の状況を知るものには夢のような話だ。
 そのおかげで、ということになるのだろうが、当サイトの訪問者数も記録的な伸びを示した。20000から40000までのメモリアル・ヒットは1999年中に達成された。つまり、発足以来1998年末まで(2年あまり)の訪問者数の合計よりも、1999年1年間の訪問者数は数千人の規模で上回っていた、ということだ。これは大変なことだ。正直言って、このホームページのコンテンツはこの間、さして増えていない。私の怠慢を宣伝するようで恐縮だが、これは事実なので、ホームページ自身の魅力で人が集まるようになったわけではないことになる。バローズとその作品群の魅力が人を引きつけ、主に掲示板上でのファン相互の交流が波に乗ってきた、というところなのだろう。謙遜などでなく、そう思っている。私自身、掲示板をのぞくのが最大の楽しみになっているから……。
 思えばいろいろあったものだ。最初はバローズ(だけ)のホームページを作るつもりではなかった。結婚して子供もでき、出歩く時間が減って家にいることが増え、退屈もあってパソコンを購入し、モデムがついているからとインターネットにアクセスするようになった。しばらくでこれはパーソナル・メディアとしては史上空前のものであることに気がついた。となると、自分でもホームページを作らない手はない。幸いにしてプロバイダからディスク・スペースは提供されていたし、ワープロソフトのおまけでホームページ作成ソフトもあった。決してパソコン・マニアではない私でも何とかできそうな気がした。
 本当は関心のある政治問題などを扱ったディベート・サイトを作るつもりだった。即時性と双方向性というメディアの特性にぴったりと思ったからだが、あまり深刻になりすぎると気が重くなって長続きしないような気がした。だったら、とりあえず好きな本の紹介でもしていこうか、それなら自分の考えも出せるし、書影やビブリオデータのような機械的に入れるデータもあって少ない負担で充実して見えるホームページが作れるだろう。そう思って、最初に何を紹介しようか迷ったあげく、エドガー・ライス・バローズにしようと思いついたのだった。
 なにせ、3年以上も前の話である。当時、バローズの日本語のサイトなんかあるはずもなかった。SF系のサイトだって今からは考えられないくらい少なかった。だから、お手本になったのは英語のサイトだった。その名もtarzan.com。世界的なERBファンクラブであるバローズ・ビブリオファイルが主催するサイトだ。残念ながら今はなくなってしまったが、ビブリオ・データなどが充実した資料系サイトだった。これがファン・サイトなのだと思いこんでしまった私は、バローズの作品リストの作成にまず着手した。幸いにして元データに苦労はしなかった。創元やハヤカワの文庫本の解説には、野田昌宏氏や厚木淳氏らによる詳細な作品データがかなり整理された形で掲載されていたから。そしてそれらを入力している間に、「はまって」しまった。
 バローズは好きな作家だったが、それほど熱狂的なファンだったわけではない。などというと怒られそうだが、事実だ。私のことを「インターネットの厚木淳」などといってくださった方もいたが、おそれ多い話で、私はバローズの大半の作品は一度しか通読していないし、だいたいが1964年生まれで、まともに本を読み出したのは1970年代も終盤だったから、すでにバローズ・ブームは終わっていた。当時買った『火星のプリンセス』は第40版。遅れてきたバローズ・ファンだったのだ。もっとも事態は今ほど深刻ではなく、バローズはじめハヤカワや創元の文庫ではまだ絶版はなかったし、文庫本自信が今では考えられないほどやすかったから、本はいくらでも読めたし、事実むさぼるように読んで「おもしろいおもしろい」と連呼していたのだが、じきに他の作家や作品に興味は移っていき、SFファン・サークルに入ったことで当時はやっていたハードSF系のより近現代のSFを順に読むようになっていた。そしてホームページを作ろうと思い立った頃にはそれらのSFすら読まなくなっていて、興味は完全に別のところにいっていた。だから、作品紹介のトップにバローズを持ってきたのは、かつてもっとも好きだった作家という程度以上のものではなかった。
 過去の思いだけで済ませていればここまではまらなかったかもしれない。しかし、資料をそろえるということをしたために多くの本を読み返したりするようになり、やがてどっぷりとはまってしまった。1冊1冊の書誌データ、扉文から目次、登場人物一覧の収録にコメントまで。さらに偶然に発見してくれた方からの様々なメール。
 当時いただいたメールには、「自分もパソコンマニアだったら先にERBサイトを作っていたはずなのに」といったものがいくつかあった。私が似非バローズ・マニアであることを見抜いてのことだろうが、私は決してパソコンに詳しいからホームページを作っていたわけではなかったので、とまどいの方が多かった。今にして思えば、ホームページを作るかどうかは作りたいという意志の差なので、自分がその分野では水準が低かったとしても作りたいと思ったならそれはそれでいいのだろうが、当時は困惑したものだった。
 やがて、驚くようなメールをいただくことになる。「SF美術館」の井岡さんからだった。バローズ関連のコンテンツもあるということで早速訪問したところ、まだ1桁のアクセスしかなかったそのサイトには恐るべきコンテンツが眠っていた。バローズ作品が掲載されたパルプ誌! これはもう驚きだった。文庫解説などで高価だし入手も困難といわれていたそれらのパルプ誌を個人で所有し、公開しているファンが日本にいたのだ。これ以後、多くのバローズ・ファンの方との交流が生まれることになる。小林さんの恐るべき資料群。マニアとはこういうものだと思い知らされた。旗谷さんの遊び心満点のホームページ(残念ながら閉鎖されたが、日本で2番目のERBサイトだった)。ファンとして作家や作品を愛するというのはどういうものか、教えられた。カイさんの入れ込みようにも圧倒された。他にもいくらでもいるが、書き出したらきりがないのでやめておく。
 こういった出会いの中で感じたのは、私はバローズの作品は好きだけれどマニアではなかったな、ということだった。作品が読めればそれで満足していた。『バルスーム』だって、刊行当時、高いからと買わなかったくらい。古本屋でバローズの帯付き初版をみたことがあったはずだけど、買っていないし。でも、同時にそれでもいいのかな、とも思うようになっていた。一口にファンといっても様々なスタンスがある。自分は自分のスタンスで、情報を発信していけばいいじゃないか。インターネットは、パーソナル・メディアなんだから……。
 結果として多くのファンと交流できたのが最大の収穫だった。私の役割は世界中の日本語の分かるバローズ・ファンに、集い、騒げる、「たまり場」を提供すること。それなんだろうなと、今では思うようにしている。そんな中で、管理人だとか偉そうなこといっていられれば十分に満足。思い返してみても、かつてSFサークルをしていた頃、何が寂しかったって近くにバローズを語り合える仲間がいなかったことなんだから……。いま、その当時の夢がかなったんだ。
 2000年を新たな飛躍の年にするためにも、この現在の位置を確認しておくことは意味があるだろう。さて! これからもがんばるぞ! というわけで、今後ともよろしくお願いいたします。

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