はしがき集 Plorogue


『火星の女神イサス』はしがき

創元推理文庫火星の女神イサスより小西宏訳

1965.11.19


 わたくしの大伯父、バージニアのジョン・カーター大尉のなきがらを、リッチモンドの古い墓地にある、あの奇妙なみたまやに安置して、世人の目から遠ざけてから、すでに12年が過ぎ去った。
 わたくしは、その壮大な墓の建築の監督をしたのだが、伯父がいい残したおかしな注文については、何度も頭をひねったものだ。とくに、蓋のない棺に入れて、納骨室の大きな扉のボルトを動かす重い機械装置が、内側からだけ動かせるようにしてほしいという指図のあった箇所についてはそうである。
 この驚くべき人物の驚くべき原稿をわたくしが読んでから、すでに12年が経過した。カーター大尉は自己の幼年時代についての記憶がまるでなかったし、自分の年齢についても大まかな憶測すらできなかった。いつも若かったが、しかし、わたくしの祖父の曾祖父をその膝にのせてあやしたことがあるという人間である。彼は10年間火星にいたことがあリ、火星(バルスーム)の緑色人や赤色人をあるときは味方にして、あるときは敵にして戦い、永遠に美しいヘリウムの王女、デジャー・ソリスを妻にめとり、10年近くもヘリウムの皇帝(ジェダック)タルドス・モルス家の王子であったのだ。
 ハドソン河を見おろす別荘の前の崖の上で彼の遺体が発見されてから、12年が経過した。この長い歳月のあいだに、わたくしはしばしば、ジョン・カーターは、ほんとうに死んだのであろうか、それとも、あの惑星の水の涸れた海の底を、再度さまよっているのであろうかと考えたものだ。4800万マイルの宇宙空間を矢のように飛んで、ふたたび地球にもどってきた遠い昔の無情なあの日、大気工場の大扉をあけるのがうまく間にあって、窒息しかけていた数千万ものひとびとを救うことができたかどうかを確かめに、ふたたび火星(バルスーム)へ帰ったのであろうか。はたして黒髪のプリンセスをさがしだしたであろうか、彼が夢にまで描いていた、かわいい息子も、タルドス・モルスの宮廷で、母といっしょに彼の帰りを待ちわびているのだろうかと、考えたりもしたのである。
 それとも、カーター大尉は大扉をあけるのが間にあわなかったことがわかって、帰ってはみたものの、死の世界で、生けるしかばねのような生活を送っているのではなかろうか?あるいは結局は彼も、ほんとうに死んでしまって、母なる地球へも愛する火星へも二度とは姿を見せないのではあるまいか?
 このように、あてどもない思案にくれていたむし暑い夏の夕方、わたくしの召使のベンじいやが、一通の電報を手わたした。封をあけて、わたくしは読んだ。

ローリイ・リッチモンド・ホテルで明日お目にかかりたし。ジョン・カーター

 翌朝早く、わたくしはリッチモンド行きの一番列車に乗り、2時間たらずのうちに、ジョン・カーターのいる部屋へ案内された。
 わたくしがはいっていくと、大伯父は立ちあがってわたくしを迎えた。往年のあたたかい歓迎の微笑が、その美しい顔に輝いていた。見たところ少しも老けず、からだつきもしゃんとして、いまだに30歳の軍人だった。その鋭い灰色の目は光を失うことなく、顔に刻まれたしわには、鉄のような人柄と意志が現われている。これは約35年前、わたくしが最初に彼を記憶しているときから、変わりなくそこにあるものだった。
「やあ、きみ」大伯父は挨拶した。「幽霊でも見ているような気がするかね、それとも、ベンじいやのジュレップ(アルコール入りの混合飲料)をたくさん飲みすぎたせいだとでも思っているのかい?」
「ジュレップのせいでしょうね」わたくしは答えた。「確かにとてもいい気分ですからね。でも、こんな気分になったのは、多分あなたにまたお会いできたからですよ。火星へ帰っていらしたのですか?聞かせてください。で、デジャー・ソリスはどうしました?無事にあなたをお待ちしていましたか?」
「ああ。わたしは、またバルスームヘ行ってきたんだ。そして――いや、話せば長い物語だ。長すぎて、帰るまでの限られた時間ではとても話しきれまい。わたしはな、きみ、秘法を会得したんだよ。それで、軌道のない宇宙空間を意のままに横断して、無数の惑星のあいだを好きなように往復できるのだ。しかし、わたしの心は常にバルスームにある。だから、わたしの火星のプリンセスが生きているあいだ、二度とふたたびあの衰亡の一途をたどる惑星を離れることがあるかどうか、わからないのだ。
 いま、わたしがここへきた理由は、きみに対する愛情から、きみがあの世へ永遠に旅立ってしまう前に、もう一度、会っておきたいという気になったからなんだ。わたしはいままでに三度死に、今度もまた死ぬのだが、わたしだってきみ同様、あの世のことは知らないのだ。
 オツ連峰の山腹に難攻不落の城塞をかまえ、太古の昔から生死の秘儀をつかさどるものと信じられてきた、あの頭のいい神秘なバルスームのサーン、つまり古代の僧侶たちでさえ、われわれ同様なにも知らないのだ。わたしはその化けの皮をはいでやったよ。もっとも、あやうく命を落としかけたがね。地球へもどる前の三か月間に、わたしが書きとめてきた記録を全部読めば、きみにも、そのいきさつがわかるだろう」
 彼は手近のテーブルにのっている部厚くふくらんだ折りかばんを叩いた。
「きみが興味を持って、そして信じてくれることはわかっている。世間も興味を持ってくれるだろうと思う。もっとも信じるまでには長い年月が必要だろうな。そうとも、長い年月がかかるよ。なにしろ、みんなには理解できまいからな。わたしがこれらのノートに書きとめたことがわかるところまでは、地球人はまだ進歩していないのだよ。
「この中からきみがよいと思うもの、世間に害にならないと思うものを発表したまえ。しかし、笑いものにされても、むきになってはいかんよ」
 その夜、わたくしは彼といっしょに墓地まで歩いでいった。納棺室の扉のところで彼はふりむき、わたくしの手を握った。
「さようなら、きみ。もう二度と会えないかも知れない。わたしの妻や息子が生きているあいだは、彼らを残して地球へくることは二度とできそうもないような気がするのだ。それにバルスームでは、寿命が千年を越す場合もよくあるのでね」
 彼は納棺室にはいっていった。大きな扉がゆっくりとしまり、重いボルトがカチンと音をたててかかった。鍵もかかった。それ以来、バージニアのジョン・カーター大尉の姿を、わたくしは一度も見ていない。
 しかし、リッチモンドのホテルの彼の部屋のテーブルの上に、わたくし宛に残された膨大な記録から、わたくしは、彼が火星へ帰還したおりの物語をまとめあげた。ここに記載できなかったもの、すなわち、わたくしが公開をはばかったものが、すくなからずある。少し前に、わたくしは彼の最初の手記を公表し、その中で闘志満々たるバージニア男子の活躍を火星の月の下、水の涸れた海の底に追ったのである。ヘリウムの王女、デジャー・ソリスを求めての彼の二度目の冒険は、それにもましてすばらしいことが読者にもおわかりになるだろう。

エドガー・ライス・バローズ


comment

 この『火星の女神イサス』のはしがきで、バローズの筆が滑ったと思われる記述があります
「わたしはな、きみ、秘法を会得したんだよ。それで、軌道のない宇宙空間を意のままに横断して、無数の惑星のあいだを好きなように往復できるのだ。」
 無数の惑星の間を好きなように移動できる! 近現代の作家なら、この設定を思いついた時点でヒーローを宇宙を股に掛けた存在へと大きくしていくでしょう。そこはバローズ、ジョン・カーターは二度と火星を離れない、と口にするのだ。実際はこの後も何度も地球にやってくるし、衛星サリアや木星にもいくことになるのだが、そういった冒険の場においてはジョン・カーターはついにこのテレポート能力を使用しなかった。惜しいけど、これをやっちゃうと超能力者ものになっちゃうよね。『金星の魔法使』のように。

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