ERB評論集 Criticsisms for ERB


厚木淳「ERBと歴史小説」

創元推理文庫カリグラ帝の野蛮人解説より

Nov.1982


 エドガー・ライス・バローズはSFと冒険小説の作家として知られているが、歴史小説の分野にも、なみなみならぬ関心を抱いていた。処女作「 火星のプリンセス 」を執筆した1911年に、早くも彼は13世紀のイギリスを舞台にサクソン対ノルマンの抗争を描いた「 トーンの無法者 」を執筆している。これは誘拐された幼君、無法者の軍団の蜂起、それを指揮する謎の青年剣士の活躍という設定で、アクション場面の多い、いかにもバローズ好みの作品であり、1914年、〈ニュー・ストーリー〉誌に発表された。この歴史小説、実はバローズ・ファンにとって無視できない重要な要素を一つ含んでいる。ジャングルの王者ターザンの遠祖に当たる初期のグレイストーク卿が登場するからだ。(ただしファンには申しわけないが、あまりいい役どころではない)。
 それからちょうど30年後の1941年、再度、歴史小説への情熱を燃やしたバローズは、本書「 カリグラ帝の野蛮人 」を書きおろした(出版されたのは作者の死後の1967年)。13冊の参考文献を列挙した〈まえがき〉は、すでに70冊近い作品を書いてきた大家にふさわしく、初期のローマ帝攻時代を周到に調べた自信の表明であろう。プロットの展開は、いつになく比較的ゆるやかで、それだけに登場人物の性格描写には深みがある。いったい本書の主人公は誰なのか、危機にさいして、キンゲトリクスの曾孫であることを再三自戒するブリタニクス(バローズの典型的なヒーローの一人)なのか、それとも狂王カリグラなのか、おそらくこの両者は二人で一人、陰腸不可分のヒーローなのであろう。
 ローマ史について、訳者は素人なので常識程度のことしか知らないが、それにしてもバローズの攻治、風俗、社会、軍隊などの描写はみごとなものだと思わざるをえない。はりつけというものがどれほど苦痛を伴う刑罰であったのか、ユリウス家という名前が当時どれほど権威があったものなのか、読者も通常の歴史書では言及されることのすくない史実を堪能されたことと思う。
 ローマ時代というと、ふつう日本人の脳裏に浮かぶのはシーザーとクレオパトラ、それにローマを焼いたといわれる、もう一人の狂王ネロくらいであろう。そういえば、カリグラの兄がネロで、妹の子がネロ(五代皇帝)、アグリッピナの娘がアグリッピナで、歴史家も大小を名前の上につけて区別しているところを見ると、ローマ人の名前の煩わしさには専門家も閉口していると見える。
 ユリウス=クラウディス家による初期のローマ帝攻時代に取材した小説で、邦訳のあるものはあまり多くない。すぐに頭に浮かぶのは、シェンキヴィッチの「クオ・ヴァディス」と、ルー・ウォーレスの「ベン・ハー」である。この時代はイエス・キリストの誕生と布教と受難の時期に一致するので、この両書ともサブ・プロットとして、キリストや使徒の受難を描いている。西暦はキリスト誕生の年に始まるとされているが、現在の学説では前四年頃と推定され、処刑されたのは30年とされている。西暦30年といえばティベリウスがカプリ島に隠棲中であり、翌31年セイアヌスが失脚している。小説家としてバローズも当然キリストを含めるという誘惑には駆られたはずだが、彼は思いきってキリストのことをいっさいカットしている。それだけに、彼の作家としての視線はひたすらブリタニクスに、いや、それ以上にガイウス・カエサル・カリグラという2000年前のローマ文明が生み落とした怪物に釘づけになっているようだ。
 現在の欧米諸国は日本のように自前の古代史を持っていない。フランスもドイツもイギリスも固有の歴史を持ち始めるのは中世以降だから、結局、古代史となると、イコール、ローマ史ということになる。それだけに彼らの文明文化の原泉ともいうべきローマ史にたいする関心は日本人よりも深いわけで、ヨーロッパ文明は基本的にはいまだにローマ文明の枠内にあるともいえる。
 初代皇帝というか元首のアウグストゥスはカリグラの曾祖父にあたるが、このアウグストゥスが養父のカエサル(シーザー)から受けついだインペラトル(ローマ国軍最高司令官)という称号が、のちに転化して英語の皇帝(エンペラー)になり、カエサルという固有名詞が、のちにドイツ語の皇帝(カイゼル)やロシア語の皇帝(ツアー)になったことは読者もご存じだろう。ローマ帝国はのちに解体してヨーロッパ諸国に分裂し、その権力構造は帝政という形で近世まで引き継がれるが、さすがにその版図に比例してか、カリグラに比肩するほどの雄大な(?)狂王はあまり多くないようだ。

 以下は訳者の余談になるが、十数年前、ローマを訪れた際、市街を歩いているとき、この道路の縁石は古代ローマ時代のものだと教えられて文字どおり仰天した覚えがある。日本の場合、2000年前の遣物なら、たとえ瓦一枚、犬釘一本でも(そんなものはありっこないが)たちまち国宝、重文に祭りあげられるだろうという、木造文化的感覚から度胆を抜かれたわけだが、石造文化のイタリア人からすれば、2000年前のものであろうと、たかが石は石ということらしく、彼らは無造作に靴で踏みつけていた。そのあとポンペイに立ち寄った。ここは周知のようにヴェスヴィアス火山の噴火で本書のカリグラよりも百年ほど前に埋まってしまった街であり、発掘品を展示する博物館があった。そこを見て、またまた驚かされたのは、現代人が考える生活用品というものが何から何まで、すでに2000年前にそろっていたという事実だった。逆にいうならぱ、2000年をへても、人類は本質的にはさほど進歩していないという感慨というべきか。例えば義歯や医療器具から始まって――。ここにないものは、コカコーラと電気製品くらいです、とガイドが胸を張って説明していたのを思い出す。

注:この文章は厚木淳氏の許諾を得て転載しているものです。


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