ERB評論集 Criticsisms for ERB


厚木淳「火星シリーズとターザン・シリーズ」

創元推理文庫火星の女神イサス解説より

Nov.1965


 数十冊にのぼるバローズの全作品の中にあって、スペース・オペラの「火星シリーズ」11巻と、秘境冒険小説の「ターザン・シリーズ」23巻が二大系列の柱であることはいうまでもない。しからば、この両シリーズの人気や作品としての優劣は奈辺にあるか?
 まず人気の点では、アメリカ本国においても四分六分でターザンに分があるらしい。これは戦前からのワイズミュラーを初めとする再三、再四にわたる映画化や、戦後のテレビ劇化によるオン・エアを考えれば当然であろう。本国においてもこのありさまだから、ましてや外国においては、ターザン優勢なのはやむをえない。しかし作品の質を、おとなの鑑賞にたえる読物という点にしぼって考えると、この形勢は逆転しそうである。
 まず主人公(ヒーロー)の性格、これはまったく同一と断定してよい。南軍の騎兵大尉ジョン・カーターと類人猿に育てられた、イギリス貴族の子ターザンは、ともに騎士道精神の権化のような美丈夫で、善悪の観念にきわめて敏感な正義漢である。卑劣な行為を目にすると、かっと頭に血がのぼり、眼前に赤い色の霞がかかったり、戦場にのぞんでは、あの不敵な微笑が口辺に浮かぶところも、そっくりである。つまりバローズの筆先から生まれたこの二人はまったくの双生児で、結局、両者の相違をもたらすのは、彼らの活躍する舞台装置の相違ということになる。そしてこの点でターザンものが早くも褪色のきざしを見せているのにたいし、ジョー・カーターものは、いぜんとしてその輝きを失っていないのである。

 今日、アフリカを暗黒大陸と考える読者はいないだろうが、ターザンが活躍するアフリカは、そうした未開の秘境である。その点は作者の執筆年代を考慮に入れれば、やむをえないこととして目をつぶっても、現在はなはだしく目ざわりなのは、ターザン・シリーズを貫ぬく強烈な反独感情である。この点にも、第一次大戦前後のアングロサクソンの反独意識が如実に投影されているわけだが、ドイツやベルギーの白人や探検隊は悪であり、英米のそれは善とする単純な区別はあまりにも幼稚で、われわれ(黄色人種)からみるといただけない。目くそと鼻くそのけんかみたいなものだ。したがって、白人優越の意識から黒人の反抗は単に土民の叛乱という形でしか描かれていないが、左翼史家の論法をまつまでもなく、これが植民地独立運動の一環であることは今回なら小学上級生でも知っていよう。
 欠点の二は、ジャングルの猿や猛獣が、流暢な英語を話す点でこれが不自然であることは説明を要しない。さいわい、「火星シリーズ」ではソートやキャロットが火星語を話さないので救われている。動物を擬人化して会話させることは児童読物の場合、たしかに一つの便法であろうが、バローズは、「火星シリーズ」と同様、ターザンものも児童読物としては書いていないのである。文体、語法も完全に成人向きの作品であり、現に英米では、ことさらに児童読物としては出版されていない。となると、この点に抵抗を感じるのは、、わたしだけではないだろう。
 もう一つ、これは欠陥というほどのものではないが、両シリーズを比較する場合に、忘れてはならぬことがある。擬人化した動物物語としては、ターザンの前に、キップリングの傑作「ジャングル・ブック」がある。そしてアフリカを舞台にした冒険小説としては、サー・ヘンリー・ライダー・ハガードの不滅の作品の前に、さしものバローズも一籌を輸せざるをえないのだ。しかるに「火星シリーズ」はどうだろう? この場合、バローズはスペース・オペラの創造という前人未到の業績を達成したのである。

 以上の文章は、あくまでも両シリーズを比較したうえでの、わたしの感想にすぎない、故意に「ターザン」ものを過小評価し、「カーター」ものを過大評価する意図は毛頭ない。したがって、わたしの指摘した欠陥を意に介さない読者なら、「火星シリーズ」同様「ターザン・シリーズ」も楽しく読めるだろう。事実、ターザンものの中でもSF的設定の濃い作品にかぎって、たとえば、「ターザンの世界ペルシダー」 Tarzan at the Earth's Core や「ターザンと失われた帝国」 Tarzan and the Lost Empire などでは、こうした欠陥が目につかない。結局両シリーズの優劣の差は、とどのつまり、背景の差、アフリカと火星の差に帰するだろう。国連加盟数十箇国を擁する現実のめざましいアフリカの発展にくらべて、火星はマリナー四号が飛んだ現在も、いぜんとして、われわれにとっては未知の、神秘な惑星である。すくなくとも、「火星シリーズ」を火星の実状と比較して批判するだけの常識的な材料を、二十世紀の人間は持ち合わせていない。だから、作者の奔放な想像力に、われわれは身をゆだねるしかないのだ。本シリーズに口絵をつけ、挿絵を入れるという企画を推進したのも、つまりは、理屈ぬきに楽しめるおとなの絵本を作ることを意図した結果なのである。
 つぎに「火星シリーズ」全巻の原題名と単行本の初版年度を記す。
A Princess of Mars 1917 火星のプリンセス
The Gods of Mars 1918 火星の女神イサス
The Warlord of Mars 1919 火星の大元帥カーター
Thuvia, Maid of Mars 1920 火星の幻兵団
The Chessmen of Mars 1922 火星のチェス人間
The Mastermind of Mars 1928 火星の交換頭脳
A Fighting Man of Mars 1931 火星の秘密兵器
Swords of Mars 1936 火星の透明人間
Synthetic Men of Mars 1940 火星の合成人間
Llana of Gathol 1948 火星の古代帝国
John Carter of Mars 1964 火星の巨人ジョーグ

65・10・25

注:この文章は厚木淳氏の許諾を得て転載しているものです。


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