ERB評論集 Criticsisms for ERB


厚木淳「バローズ狂時代」

創元推理文庫SFジューマの神々 バルスームふたたび解説より

Mar.1987


 バローズの『火星のプリンセス』が発表されてから、すでに75年が経過している。しかも、いまだに〈火星シリーズ〉を踏まえた作品が後を絶たないのは一種、特異な現象といわなくてはならない。それはH・G・ウェルズの影響を、現在のSFが依然として脱しきれていないというような表現とは少々ちがう。つまり、現在の新進気鋭のSF作家たちがいまなおバローズに、ある種の古きよき時代への郷愁めいた感情を抱いているらしいことが察せられるという意味である。ミステリの分野では、古くはシャーロック・ホームズから007号にいたるまで、贋作やパロディがさかんに発表されているのは周知のとおりだが、SFの世界で、戦前戦後を通じてそれに類した対象にされているのは〈火星シリーズ〉くらいのものだろう。しかしパロディや贋作が残念ながら、つねに原典の域に達しないのは、SFの場合でもミステリの場合でも同じである。模して及ばず。そこで、というわけでもないだろうが、最近たまたま、たてつづけに目についたのが、バローズ狂の青年をヒーローに仕立てたSFである。
 そのひとつは、訳者が日本版『OMNI』に訳す機会があった『火星の神々』という短編で、作者はガードナー・ドゾワ、ジャック・ダン、マイケル・スウォニックの3人。まず題名からして、これは『火星の女神イサス』の原題と同じだった(GODの複数形をべつにすれば)。プロットをざっと紹介すると――NASAは月につづいて火星に有人着陸を敢行するために宇宙船を派遣した。軌道に乗った宇宙船の観測機器は“呼吸可能な空気なし。気温氷点下。砂と岩以外なにもなし。植物なし。地表に水なし”と告げていた。ところがバローズ狂の黒人の隊長が率いる3人の着陸隊員が降下してみると、なんとそこは夢にまでみたバローズの火星であった。足の下には水の澗れた海底の苔があり、空気は呼吸でき、満々と水をたたえた運河があり、六本脚の獣がいる、という具合である。いっぽう宇宙船のモニター装置で監視している船長の目には、ヘルメットを脱いだために即座に絶命した3人の死体が見えるだけ。船長は着陸隊員たちが集団幻覚にかかったあげくの事故死とあきらめて地球への帰還の旅につくが、地上の3人はその宇宙船に手をふり、彼方に見える都市の明かりめざして出発する――
 前半はSF、後半はファンタジーという斬新な手法を使い、船長が正しいのか、それとも3人の着陸隊員が正しいのか、その判断は読者のご自由にというわけである。こういう手法もあったのかと、訳者もいささか、うならされたしだい。
 さて、そのあとに読んだのが本書である。ヒーローは同じくバローズ狂の青年だ。ただし彼の行き先は火星ではなく、火星というよりはバルスームに酷似したエリダヌス座の惑星ジューマである。将来、地球人がなんらかの理由で植民惑星の探索に乗りだしたとき、彼らが遭遇する二つの命題がここにある。その一つは、人類が生存可能な惑星には、すでに人類によく似た知的生物が進化している公算が大であるということ。その二は、その場合、地球人は植民者としてではなく、征服者として登場せざるをえないだろうというものだ。しかし近々一万年たらずの文明しか持たない地球人が、一見、科学技術の面では優勢でも、250万年の文明を持つ現地人を圧倒できるものだろうか?
 作者のレイクはこうした命題を踏まえて、じつにみごとな正統的なSFを描いてみせた。ジューマには赤色人がいる。運河がある。二つの月があった。水の涸れた海底。小さな都市国家群など、バルスームとの共通点がすくなくない。だが地球人をもっとも仰天させたのは、現地人の性のあり方である。この性の問題は本書の導入部における重大な謎なので、『あとがき』を先に読む癖のある読者は、ここで本文にとりかかっていただきたい――。彼らと地球人との相違は、いろいろある。6本指からくる12進法の採用。成長すると、へそがなくなること。肯定のとき首を横にふる。泣くときは涙をださずに喉を鳴らす等々である。そして最大のちがいは彼らの変身。零歳(ベプ)――18歳(変身、男)――42歳(変身、女)――66歳(変身、ウザンつまりエルダー)という一生を送る。最初の変身で娘になった者(キンチ)は、つぎの変身で男(クラール)になる。ジューマにおいて雌雄のべつが固定しているのは下等生物だけであると。
 主人公のトム・カースンは、いつもジョン・カーターを念頭に置いて、おれはヒーローではないと自分にいいきかせている。ヒロイック・ファンタジーの愛読者にしては覚めた男で(しかし、おおかたの読者はそうにちがいない)、このあたりの描写は〈火星シリーズ〉の読者の微苦笑を誘うところだろう。とにかくE・R・バローズに郷愁を感じる読者なら充分楽しんでいただけるSF、しかも〈火星シリーズ〉を度外視しても正統的なSFであることはまちがいない。
 ところで都市国家エルサイのなかで、かろうじて少数生き残った地球人のその後の運命は? 本書には続編『ジューマの元帥たち』があり、そのなかで、第一世代の地球人から生まれた娘と息子たちが大活躍する。近刊の予定。
 本書は編集部の新藤克己君がロスアンゼルスの世界SF大会に出席したおり現地の書店で見つけて、バルスームというサブ・タイトルがついているからには、厚木さんが一読の要ありといって渡されたものである。読後感は前述したように、予想以上のものだった。
 1950年代まで、SFと性は無縁だった。だが、いまやセックスはSFが無視できない主要な課題の一つとして浮上した。地球人の男とジューマ人の女とのセックスは可能だが、その逆は不可能という設定には一種、異様な説得力がある。地球人ジョン・カーターが火星人デジャー・ソリスと結ばれて、その卵のなかからカーソリスが誕生したというお話は、しょせんは1910年代の夢物語か?
 作者のデイヴィッド・J・レイクは1929年インド生まれのイギリス人。ケンブリッジ大学卒業。言語学専攻。タイ、ベトナム、インドで英語を教え、1967年オーストラリアに移住。クイーンズランド大学でイギリス・ルネッサンス劇とSFを教えている。SF作品の発表をはじめたのは1976年からで現在に到っている。
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