ERB評論集 Criticsisms for ERB


厚木淳「元帥考」

創元推理文庫SFジューマの元帥たち解説より

May.1988


 作者のD・J・レイクが、E・R・バローズに捧げた賛歌ともいえる前作『ジューマの神々』につづく本編では、前半は地球人の娘とジューマ人の少年の必死の逃避行が、後半はエオサイの元帥職を賭けた華々しい決闘と、アナコールの大王の野望の粉砕が主な見所となっている。
 バルスーム(火星)によく似た惑星ジューマの最大の特徴は、個体における性の転換である。そこでは子供―男(青年)―女(中年)―老人という変化が正常なものであり、子供―女(キンチ)―男(クラール)―老人と変化するものは変性者と呼ばれて蔑視されている。この性の転換と両性の享受は、SFとしては、とくに目新しいアイディアとはいえないが、性が固定されている地球人の場合よりも、男女関係が将来にわたって、はるかに複雑怪奇なものになることは想像に難くない。ジューマで雌雄のべつが固定しているのは下等動物だけだというから、この惑星では、進化のプロセスがそうした形をとったのだろう。150万年の歴史を持ちながら(それにひきかえ地球は有史以来、5000年にも満たない)、テクノロジーが極度に制限されているところに、この世界の特異なおもしろさがある。本編のヒーローとヒロインであるスーザンとデイヴは、いずれも第二世代の地球人、つまりジューマ生まれのジューマ育ちであり、前作『ジューマの神々』で活躍したトム・カースンと、エルサイの女王テレジンは、今回は裏方を務めている。

 Warlord というのは定訳のない言葉で、元帥というのは、あくまでも便宜的なものであることは、火星シリーズの第三巻『大元帥カーター』のあとがきでも記しておいた。そこで、というわけでもないが、気晴らしに、訳者なりの元帥考を漫然と述べてみたい。
 本編にはカーダンの秘密の元帥デイヴ、その父親のトマース(トーマスのジューマ読み)がエルサイの元帥、ヤラシュとコーニンの新旧ふたりのエオサイの元帥と、計四人の元帥が登場するが、わが地球の著名な元帥たちはいかなる顔ぶれであろうか?
 『水瀞伝』にも、たしか何人かの元帥が登場したし、このところ比較的ポピュラーになった青髭のジル・ド・レー閣下も元帥だった。しかし彼らは近代的な軍制下の元帥ではないから省くとしよう。そもそも元帥とは、将軍たちの元締め、すなわち総司令官を意味する。したがって一国にはひとりしかいないはずだが、それが近代になってからは、軍人の最高位の階級である大将のなかでも、とくに功績顕著な大将にあたえられる称号になったのである。元帥府に列するという言葉が使われていたが、いまの読者には、野球の殿堂入りと同じことといったほうが、わかりやすいのかもしれない。その点では相撲の最高位が江戸時代には大関であり、横綱はその上の称号であったのとよく似ている。(わたしの手元にある天保十一年に発行された刀剣番付では最高位は大関で、横綱は載っていない)だが現在では横綱は称号ではなく、大関の上の階級になってしまった。
 戦前の天皇は大元帥陛下と称して元帥よりもまた一段格が上だったが、大元帥はもうひとりいた。大祖国戦争を勝ち抜いたスターリンが、戦後この肩書きを便っているからで、世界史上の大元帥は、したがって、ふたりいたことになる。わが国でもっとも有名な元帥は誰だろう、と考えてみると、奇しくも、ふたりとも海軍だった。ひとりは日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を相手に、空前絶後のパーフェクト・ゲームを演じた東郷平八郎元帥。もうひとりは真珠湾攻撃の立案者、山本五十六元帥である。ただし、この作戦は戦術的には100点満点、戦略的には(ハルゼーの空母艦隊を逸したので)50点、政略的には、リメンバー・パールハーバーと、アメリカ国民の戦意を高揚させてしまったから0点という評価もある。
 外国の場合はどうだろう。アドベンチャー・フィクションには欠かせないテーマとなった観のあるナチス・ドイツ。並の元帥よりも一段上の国家元帥(ライヒスマレシャル)が、でぶの空軍大臣のゲーリング。バルジ大作戦で連合軍の心胆を寒からしめたフォン・ルントシュテット元帥(ドイツの元帥には、プロシア貴族の出を示すフォンがつく名前が多い)。そして連合軍から砂漢の狐と恐れられた名将ロンメル。彼はプロシア以来の伝統を誇るドイツ陸軍史上、最年少で元帥になった(四十歳前後のはずだ)。フォン・シュトロハイムが扮したロンメルの映画を思い出すが、そのとき彼が幕僚をまえにして、壁に張ったエジプトの地図を指すのに便ったのが元帥杖。杖というよりは鞭みたいなものだが、これが元帥には欠かせない特権的な小道具である。
 戦後の日本人にとって忘れることができないのが、占領軍総司令官として君臨したマッカーサー元帥。もうひとりはノルマンディ上陸のDデイを指揮したアイゼンハワー元帥。ともに太平洋と大西洋の連合軍最高司令官で、今世紀後半のパックス・アメリカーナのシンボルとなった。アイクは大統領を退任したとき、大統領と元帥のどちらの年金を受け取るか、その選択にさいして、ためらうことなく元帥の年金を選んだという。それは彼の軍人気質の現れだろうが、アメリカで大統領と元帥の年金が同額であるということは、元帥という称号の重みを如実に示すものであろう。
 その他の国の元帥となると、すくなくとも日本人にとっては知名度が、ぐっと減るだろう。ムッソリー二が失脚したあとで、イタリーの政権を担当したバドリオ元帥。スターリンに処刑されたトハチェフスキー元帥。フルシチョフによって追放された国防相のジューコフ元帥。スターリンに真っ向から喧嘩を挑んだユーゴのチトー元帥。毛沢東暗殺に失敗して、不慮の死をとげた林彪元帥。現在、元帥を名乗ってもおかしくないのが、リビアの独裁者カダフィさん。このひとは、いまだに大佐のままのところが、おもしろい。
 ジューマの元帥たちにくらべて地球の元帥たちも、なかなか多士済々でありませんか。元帥たちよ、永遠なれ!

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