ERB評論集 Criticsisms for ERB


井上一夫 「火星の無法者(あとがき)」

久保書店Q-Tブックス『火星の無法者』

1 Jul.1967


 ここのところSFづいていて、この本と前後して、あと二冊ばかりSFの訳書が出ることになってしまったが、そのうちの一冊ジェームズ・ブリッシュのヒューゴ賞受賞作品「良心の問題」(創元推理文庫)とこの作品をくらべると、同じSFでありながらこうも違うものかと唖然とし、これはミステリーの領分のエラリー・クイーンとイアン・フレミングの相違などとは、くらべものにはならないと、あらためてSFの世界の広さを認識させられた。
 この「火星の無法者」は、「ターザン」の生みの親で「火星冒険シリーズ」を書いたE・R・バローズの作品と、傾向もよく似ているし、書かれた時代もほぼ近い、いわば「火星SF」の古典のようなもので、波瀾万丈の大活劇はミステリーの世界でいえば007号ジェームズ・ボンドのように、奔放な空想を「ありそうな科学性」で味つけした、楽しい娯楽性の強い空想科学小説と呼ばれるべきものである。
 この傾向をさらに大がかりにして、もう少し科学性をとりいれたのが、スペース・オぺラと呼ばれるE・E・スミスのレンズマン・シリーズの、銀河系からさらにその外にまで舞台をひろげた戦争小説に近い大活劇で、地球人の宇宙パトロール隊員キンボール・キニスンが宇宙海賊と戦う雄大な人類の未来叙事詩とまでいわれているし、同じE・E・スミスの「スカイラーク・シリーズ」もこの仲間であろう。
 ところがここに、重SFとかハードSFとか、あるいはサイエンス・フィクションの前の部分をイタリックで書く「科学に重点をおいたSF」というのがあって、ブリッシュの「良心の問題」がそれだった。宇宙のはずれに蛇とカンガルーの合の子のような知性をもった生物のいる星があって、神を知らずに理想社会を作っているのを、探険隊のカトリックの坊さんが、教義にあわせていろいろ考えると、これは悪魔の星だということになるという、大変むずかしくて考えさせられてしまう話だが、実は本当のSF好きはこういう作品のほうがこたえられないらしい。つまり、科学にこり固まって空想のほうをお留守にしたわけではないが、ひとつのアイディアに広汎な科学知識を総動員して、非常に論理的に異常な話を展開していくので、読者は作者の表現の流れを忠実に追っていかないと、ちょっとでも気をぬいたらわからなくなってしまう。SFファンは大休頭がいいから、そういう思考を要求する読みものが本当のSFの醍醐味かもしれないが、やはりそこまでのSFファンになるには、この古典的火星ものやスペース・オペラもの、ロボットものやミュータントものなど、いろいろのジャンルを経て惹きいれられて行く過程を経るのが普通らしい。

comment

 バローズ贋作作家として知られるO・A・クライン『火星の無法者』の久保書店版の訳者あとがき。多くのバローズ・ファンは、創元推理文庫版の『火星の黄金仮面』で知られていることかと思います。
 面白いのは、いずれも解説代わりに訳者あとがきが付いているのですが、久保書店版はお読みの通り、ハードなSFに比較してスペースオペラものをSFとしては初心者向けという位置づけに見ているのに対し、創元版ではほめてしまっているところ。出版社の要請なのか忖度なのかわかりませんが、おそらく久保書店版が本音のような気はします。
 井上一夫氏はハードなSFやミステリのほか、SFではスターキング、ミステリでは007など、エンタメ系の作品も多く翻訳されていらっしゃるので、注文は断らない職人型の翻訳家だったのかもしれません。

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