ERB評論集 Criticsisms for ERB


鏡明「E・R・バロウズの3大ヒーロー」
ERBと呼ばれ、今もなお全米中に熱狂的なファンを持つバロウズの創造した3大ヒーローは
とりもなおさずSFの3大ヒーローである

ツルモトルーム刊『STARLOG』1979年3月号収録記事

Jun.1983


ジョン・カーター
 ジョン・カーターというおよそ平凡な名前が、特別の意昧を持ちはじめたのは、1912年の初めのことだった。
 “オール・ストーリー”という小説雑誌の読者たちは、ノーマン・ビーンという新人作家の“火星の月の下で”の中で、はじめてその名前を知ったのだ。以来、ジョン・カーターは、いまだに多くの人々にとって、重要なヒーローの名として知られることになった。
 ノーマン・ビーンとは、エドガー・ライス・バロウズの最初にして最後のペン・ネームであり、“火星の月の下で”は後に“火星のプリンセス”として一冊にまとめられた。いわゆる“火星シリーズ”の第一作だ。
 “火星シリーズ”の魅カは、バルスームという名の火星のエキゾチックな風景や動物、歴史、文化といった面に、多くをよっているが、それと同時に、ヒーローとしてのジョン・カーターの役割も、見逃がすことはできまい。
 南軍の兵士という敗残者であったジョン・カーターは、バルスームヘ飛ぷことによってデジャー・ソリスという美女を手に入れ、一つの王国まで手に入れてしまう。それはまるで子供の夢をそのまま大人に向けて語ったような、無邪気な楽しさを感じさせる。しかも、ジョン・カーターは、それを常にフェア・プレーに徹することで手に入れてしまうのだ。
 物語のはじめで明らかにされているとおり、ジョン・カーターは、不老不死に近い存在であり、しかもバルスームが、実際の火星よりも、死後の世界に近いという異常さが、この“火星シり一ズ”には付きまとっているが、ジョン・カーターその人の性格は、正常すぎるほど正常だ。バロウズの後のヒーローたちにも共通することだが、一人の女性を愛し続け、弱きを助け、強きをくじくことのために自らを犠牲にすることもいとわない。
 おそらく、この単純明解さこそが、ジョン・カーターの人気の秘密だろう。そのあっけらかんとした影の無さは、巻を追う毎に、明確になっていく。落ちこぼれの一人であった彼が、富も名誉も、家庭すら手に入れていく過程は、それなりにハッピーではあるけれども、逆に一種の不満、物足りなさを感じさせるのも事実だろう。ただ、後のSFのヒーローたちのキャラクター造りの上で、このジョン・カーターの単純明解な性格は、大きな影響力を持っていたと思われる。正義の味方には、暗さは必要なかったのだ。

ターザン
 ジョン・カーターの大成功を受けて、パロウズが1912年の秋に、これも“オール・ストーリー”に発表したのが、ゴリラに育てられた英国貴族の子供、ターザンを主人公にした“類人猿ターザン”である。
 今や、ターザンの名は、ジョン・カーター以上に有名となってしまったが、その最初の作品が雑誌に発表されたときに、すでに凄まじい反応を呼んだのだった。そして1918年に映画化されて以来、何度も映画化されたことが、ターザンの人気を一層、たかめることになった。
 ターザンの基本的なアイディアは、狼に育てられた双子の少年を先祖とする、ローマ帝国の伝説や、ルピャード・キップリングの“ジャングル・ブック”あたりから得たものとされているが、もっと単純に、人の知性とゴリラの体力という組み合わせということではなかったろうか。
 ほとんど未開人に近いというターザンのキャラクターは、実は映画の創り出したもので、原作のターザンは、人一倍、悩むことの多い、知性的な人間としての面を強く感じさせる。“ミー・ターザン、ユー・ジェイン”という有名なせりふからは、想像もできないほどに、原作のターザンは、知的な雰囲気を持っている。それもターザンが、イギリスのグレイストーク家という貴族の正統な世継ざであることを考えれぱ、当然のことだ。
 その意外なほどの知性を感じさせるのは、後に彼と結婚することになる、ジェーン・ポーターとのからみだ。ターザンは、常に自分がアフリカの奥地で育った未開人であることを意識し、奇妙と思えるほど消極的な態度に終始する。それはまさに都会のインテリが、恋する女に示す態度と良く似ているわけだ。たとえぱ、あのジョン・カーターのデジャー・ソリスに対する態度とは、大変にちがっている。
 もちろん、そうした人聞的な弱さと、戦うときの豪胆さとの差が、ターザンの一つの魅力ではあるのだけれども、腰に皮を巻き、ぞっとするような雄叫びをあげているのがターザンであるというイメージは、やはり訂正されるべきだろう。おそらく、バロウズがターザンに与えようとしたキャラクターは、文明人よりも文明的である未開人というものであった筈だからだ。そしてそれは、ジョン・カーターにも、次に述べるデヴィット・イネスにも、ついになかったものだからだ。

デヴィッド・イネス
 火星のジョン・カーター、アフリカのターザン、そして地底世界ペルシダーのデヴィッド・イネスと、地球の中心に向かって舞台が移っていくにつれて、面白いことに、ヒーローたちが当り前の男に変っていくのだ。
 1914年の“オール・ストーリー”に、バロウズは、“火星シリーズ”“ターザン”に続く、第3のシリーズを発表した。後に“地底世界ペルシダー”としてまとめられるペルシダー・シリーズの第一作だ。ヒーローとして登場したアメリカの若者(年令的には30歳近いのだが、意識としては20歳そこそこであるらしい)デヴィッド・イネスだった。
 成功した鉱山主の一人息子である彼は、逞ましい身体をした明るい青年ではあったが、その力や能力は、たとえばターザンには及ばないし、火星におけるジョン・カーターのように、ペルシダーの住民たちよりも遙かに優れた能カを持っているわけでもない。一般よりも優れているにしても、標準的なアメリカ人と言ってもかまいはしないだろう。
 このことを良く示しているのは、そのシリーズ第4弾、危機に陥ったデヴィッド・イネスは、ターザンに助けを求め、ペルシダーまで呼び寄せてしまうというエピソードだ。それは、人気キャラクターを一堂に集めるオール・スター・キャスト仕立てということではなく、ターザンが登場した途端、デヴィッド・イネスは、主投の座から降りてしまうのだ。
 そのことが、デヴィッド・イネスのペルシダー・シリーズにおける位置を良く示している。もちろん、イネスは、ペルシターの人々や獣たちと戦う際には、ペルシダーではまだ知られていないボクシングの技術や、剣の技術を駆使して、勝利を収め、他のバロウズのヒーローたちと同じように、美女のダイアンを得る。それは表面的には、デヴィッド・イネスをヒーローたらしめているように思わせるのだが、ついに超人的なところまではいきつくことがない。
 実際、ペルシダー・シリーズの主役は、ペルシダーという奇妙な世界そのものであり、イネスは、ヒーローというよりも、実内役であるようだ。もっとも、バロウズの作品では、こうした傾向は少なからずある。たとえばジョン・カーターでさえ、シリーズの最初の三作でのさっそうとしたヒーロー振りに比ぺると、後の巻ではもはや、バルスームという世界のガイドに堕す傾向があるわけだ。それは、ヒーロー・メーカーとして見たときのバロウズの欠点というぺきことだろう。


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