ERB評論集 Criticsisms for ERB


鏡明

ボクはなぜとても強い人〈ヒーロー〉の活躍する〈ハシャギマワル〉物語に魅かれるんだろう。
SFもそういう話は大好きだなあ。――

「バローズが産み出したヒーロー」

SF専門誌「奇想天外」1977年6月号連載エッセイ

Jun.1977


 1962年、突然のように、アメリカでエドガー・ライス・バローズの作品が復活した。それはバローズの作品の著作権の多くがこの年には消滅していることに出版社(バランタインが最初だったろうか?)が気付き、ペーパーバックで出しはじめたからだというが、この50年前の作品の復活は、単にSF界だけにとどまらず、読書界全体をまきこむほどのブームに成長した。1963年にはニューヨーク・タイムスやライフといった御立派な雑誌がバローズ・ブームを取り上げるまでになったのだ。
 そして1965年には、日本でも、当時は東京創元新社といっていた東京創元社から、火星シリーズが文庫本で出はじめ、アメリカほどではなかったにしろ、ちょいとしたブームになった。ぽくなんかも、「火星のプリンセス」にはすっかりまいっちまった口で、読み終った途端に、次の「火星の女神イサス」を探し求めて古本屋を探し回った。結局、新刊で買う破目になるのだけれどもね。4冊目の「火星の幻兵団」が出たのほ1966年の2月の終りで、たぶんぽくは1月から、最初の3冊をほとんど二、三日ぐらい置きに読んだのだと思う。7冊目、つまり「火星の秘密兵器」ぐらいまでは、かなり熱狂的という感じで読んだものだが、それ以後ほ、少々飽きだしたようだ。ペルシダーや金星シリーズでも、やはり面白いと思ってたまらずに読み終えてしまうのは、3冊目くらいまでで、あとはさすがのぼくもかったるくなってくる。それはなぜか、実はこいつを間題にすべきなのだろうが、解答は自然に出てくるだろう。今は別な方向へ話を持っていくことにする。
 この火星シリーズが、何よりも素敵だったのは、それまでSFを読ませようと思っても、SFというだけで敬遠気味だった女の子たちが、ちゃんと面白いと言ってくれることだった。馬鹿みたいだけれど、こいつはとっても重要なことなんだ。実際の話、ジャック・フィニイの「盗まれた街」とか、ダニエル・キースの「アルジャーノンに花束を」、あるいはまたブラッドベリやブラウン、シェクリーあたりの短篇が、女の子にすすめても読んでもらえるリミットで、これがハインライン、クラーク、アシモフあたりまでくると、もう駄目。本当さ、10年くらい前までは、女の子のSFファンというのは貴重な存在だったのだ。誰にでも喜こんでもらえるSF、バローズの火星シリーズは、そんな理想的なものの一つのようにさえ思えた。今じゃ、これがSFかどうか、疑問に感じてしまうのだがね。
 女の子に読んでもらえることが、そんなに重要か? たぶん相当に重要なんだと思う。
 1911年の8月に、エドガー・ライス・バローズという聴いたこともない男から、「デジャー・ソリス、火星の王女」と名付けられた未完の原稿を送りつけられた
「オール・ストーリー」の編集者が、そいつを没にせずに、採用してもいいと考えたのは、まさにその作品が女性にうけるかもしれないと考えたからにちがいない。科学的なアイデイアをもとにした、つまりSFに近い形の小説は、当時の男性読者にアピールすることは経験上、明らかな事実だった。SF的な作品がしばらく載らないと、読者から不満の声が殺到(ちょっとオーバーですかな)したのだという。マンシー系の雑誌は、それを一つの柱としていたのだが、残念ながら、その手の小説ばかり載せるわけにはいかなかった。というのは、当時の読者のかなりの部分を女性が占めており、SF的な作品は、女性からは敬遠されていたのだ。雑誌の売れ行きを維持するためには、SF的な作品は、ある程度の割合におさえておかねばならなかったのだ。雑誌の売れ行きを上げるために必要だったのは、女性向きであったり、男性向きであったりする小説ではなく、誰にでも読まれる小説だった。
 そして、1911年の「オール・ストーリー」の状況は、まさにそうした小説を必要としていた。1905年1月に創刊されて以来、10セントであった定価を、15セントにあげねばならなかったのだ。それはコストの上昇による必然的な結果だったが、「オール・ストーリー」という雑誌が、そうした値上げに耐えうるほどの内容を誇っていたかどうがとなると、こいつは疑わしいものだった。マンシー系の雑誌として、SFやファンタシィ系の作品に比鮫的、力を入れているという特徴を持っていたにしろ、それだけでこの値上げを乗り切ることはできそうもなかった。はたして、一篇の小説が雑誌の売れ行きをそれほどまでに決定するほどの力を持っているか、だって?
 実は、そいつには先例がちゃんとあるのだよ。1903年の11月に創刊されたストリート&スミス社の「ポピュラー・マガジン」。このダイム・ノベルスの大手出版社が、マンシーの「アーゴシー」の成功を見て、発行したパルプ・マガジンが、急速に「アーゴシー」の王座に迫るようになったのは、ただ一篇の小説のおがげだと言ってもいい。その小説の名は、ヘンリー・ライダー・ハガードの「洞窟の女王」。1905年の1月から8月にかけて、「ポピュラー・マガジン」は「洞窟の女王」を連載したわけだが、遠載前の部数が7万部程度であったのに対し、連載が終るときには、その部数は、なんと25万部、当時の「アーゴシー」の売り上げの半分にまで達していたのだ。
 イギリスで人気を集めていたこの「洞窟の女王」を発見したのは、名編集者としてその名を知られるチャールス・アグニュウ・マクリーンだった。彼は、「洞窟の女王」の連載とほぼ同時期(1905年2月から7月)にH.G・ウエルズの「The crowning victory」を連載させており、それはアメリカにおけるウェルズの作品の連載のはじめての試みだった。マクリーンは、そうした新しい企画を成功させただけではなく、たとえばシオドア・ドライサーを援助したり、奇現象の収集家として有名なチャールス・フォートを育て、「ポピュラー・マガジン」の地位を不動のものにしたのだった。
 実は、マンシーに「オール・ストーリー」の創刊に踏み切らせたのは、この「ポピュラー・マガジン」の創刊だったらしい。ハガードの「洞窟の女王」が連載される前に、すでにマンシーは「ポピュラー・マガジン」の存在を意識しており、そこから「アーゴシー」と「マンシーズ・マガジン」だけで、このパルプ・マガジンという新しい市場を独占しているわけにはいかなくなるという結論を導き出していたのだ。さすが、というよりない、30年代のパルプ・マガジン・ラッシュまでは予想しなかっただろうが。
 そうしたマンシーの期待を担って創刊された「オール・ストーリー」だが、結局はその価格の安さだけで持っていたにすぎない。なにしろ、バローズという小説を書いたこともない人問ですら、この程度ならおれのほうがまだ良く書けると思ったというほどの内答でしかなかったのだから。バローズが原稿を送りつけたのは、偶然とは言え、それ以上適切な時期がないような、そんなときだったのだ。1875年の9月1日にシカゴで生まれて以来、不運続きだったもうすぐ36才になろうという男が得たはじめての幸運だった。
 もちろん、だからといって、このバローズの送りつけた原稿「デジャー・ソリス、火星の王女」が、そのまますぐに採用となったわけではない。それどころか、下手をすれぱ没にされる可能性すらあったのだ。なによりもその原稿は未完(全体の3分の1程度の分量しかないものだった)であり、そして当時のものとしても冗長にすぎた。少なくとも、ロバート・H・デイヴィスの下で働いていたトマス・N・メトカルフという編集者にはそう思えたのだ。
 「この作品には、すぐれた点が数多くあります。けれども、どうもうまくない部分も散見されます。すばらしい才能と想像力がこの小説からは感じられますが、まだ完成していないことでもあり、全体としての効果という点に関しては判断しかねます。本題に入るまでがかなり冗長であるように思いますし原稿を受けとってから十日後に出されたメトカルフの返事は、賛辞と批判が入りまじったものだった。そして「もしも、私が読ませてもらった部分と同じように、この物語を書き伸ばし完成させることができるのならば、この作品を買うことを考えてもかまいません」と結ばれていた。
 「この物語は、火星で十年間を過ごしたヴァージニア生まれの冒険者が書いた原稿から機成されたという設定になっています。彼は、荒々しい火星の縁色人、及び高度に進化し、科学を使用する火星の支配者たち、彼らはその肌の色を除いては、地球人とよく似ているのですが、そうした人々の間で生きてきたのです。そして、この火星の支配者たちの一人が、この物語のタイトルの由来であり、同時に恋愛の要素をこの物語に与えることになります。この物語は、多くの読者を楽しませるに足るほどのアクションと恋愛、謎、恐怖を含んでおります」
 おそらくバローズは、この作品にかなりの自信を持っていたのだろう。あるいはそれまでを事業家として過ごしていた経験がそうさせたのだろうか、こんなシノプシスをつけて「オール・ストーリー」に送りつけたのだった。最後の文章は、バローズが何を狙っていたのか、それを良く示している。メトカルフの手紙を受け取ってから僅か二日後に、バローズは、喜んで書き直す、という意味の手紙をメトカルフに出している。そしてその中には、バローズの創作に対する態度をあらわすものとして有名になったこんな文句がしるされていた。
 「この物語を書いたのは、おそらくこの物語が得てくれるであろう金が必要だったからです。センチメンタルな動機からではありません。もっとも、書いている最中には、他のことはすっかり忘れて没頭していたのですが」
 当然のことだが、この文句を文字どおり受け取るわけにはいかない。37才というバローズの年令を考えればなおさらのことだ。必要以上に金のことを表面に出しているのは、おそらくバローズ一流の照れかくしではなかったろうか。ノーマル・ビーンというペンネームを使おうとしたことからも、それは十分にう水がわれる。もっとも、このペンネームは、枚正の担当者が、勝手に(というよりは常織を働かせて、もっと名前らしい)ノーマン・ピーンと改めてしまったのだが。
 1914年に「オール・ストーリー」と「キャヴァリヤ」が合併し、週刊になるまでの3年間、メトカルフはバローズ専任の編集者というような形になるわけだが、この二人の関係はひどくぼくの興味をそそる。メトカルフはバローズの才能を認めながらも、雑誌の編集者として、様々な助言や批判をバローズに与える。それに対してバローズは、反発を感じながらも、その助言にしたがい、あとはひたすらに原稿料を問題にする。それはバローズが人気作家となるにつれて地位の逆転がおこっても、依然として続くのだった。最後にはメトカルフはバローズに対して、何も言えなくなるのだが、その頃には今度はバローズがメトカルフを頼りにしていたような形跡も残っている。
 メトカルフがバローズの作品に対して、どれほどの貢献をしたが、その良い例を紹介して拒こう。「火星のプリンセス」の最後で、ジョン・カーターが地球へ戻ってしまうというのは、最初から考えられていたことだった。けれども、バローズはそのきっかけをどのようにしたら良いか、はっきりとは掴んでいなかったのだ。イス河の入口にあるドール谷の中に入りこんだジョン・カーターが、突風に巻き上げられ、意識を失ない、目覚めてみたらば地球に戻っていた、こんなエンディングを考えていたらしい。だが、それではバローズもいささがうまくないと考えたのだろう。メトカルフに相談をもちかけた。メトカルフの返事は「火星人の街を何か疫病みたいなものが襲うっていうのはどうだろうか?」というものだった。
 その結果が、あの窒気が欠乏していくというエンディングとなったのだ。メトカルフの書いてよこした「疫病」のアイディアをそう料理したのは、明らかにバローズの才能だが、メトカルフの助言なしでは、たぶん火星シリーズも、少々変ったことになったかもしれない。
 もっともメトカルフの助言は、常に成功したのではなく、第2作としてスコットのアイヴァンホーのような騎士物語を書いてみればどうだという助言は、見事に失敗した。と言っても、バローズがそれを拒否したのではなく、バローズはその助言にしたがって書くことは書いたのだ。「Outlaw of Torn」という中世のイギリスを舞台にしたものだった。だがこの作品はバローズの手にあまった。その理由は簡単だ。バローズの想像力は、あくまでも想像力であり、歴史という実体を伴なった素材にむけられたとき、歴史に対する知識不足を補うまでには至らなかったのだ。その結果は歴史小説とも何ともつかぬ奇妙なものとなった。
 1912年に書かれたこの作品は「オール・ストーリー」だけではなく幾つもの雑誌から拒否され、何度も何度も書き直した末、1914年、ストリート&スミス社の「ニュー・ストーリー・マガジン」の一月号ではじめて陽の目を見ることになるのだった。そして他のバローズの作品が単行本化されていっても、なかなか単行本にまとめられず、1927年になってようやく出版される始末だ。メトカルフの助言にしたがって書いたにもかかわらず、この作品が「オール・ストーリー」から拒否され、プロットだけなら買ってもいい、小説そのものは他のライターに書かせるという屈辱的な返答をもらったバローズが、快よく思ったわけがない。実はこの「Outlaw of Torn」の失敗は、後にターザン・シリーズの第二作「ターザンの復警」を、こともあろうに「オール・ストーリー」の商売敵、ストリート&スミスの「ニュー・ストーリー・マガジン」に売り込んでしまうという事件の遠困ともなるのだった。

 これから何回かはバローズに関連する事頂をあつかうことになるけれども、事実の記述や引用に関しては、Irwin Porges の「Edgar Rice Burroyghs, The Man who Created Tarzan」を主に使用する。この大部(なんと1300ぺージもあるのだよ)のパローズの伝記は、バローズ家の全面的な協力によって完成されたもので、その立場はどうであれ、データ的にはごれまで発表されたバローズの伝記のどれよりもくわしいものだろう。あと、サム・モスコウィッツの「アンダー・ザ・ムーン・オブ・マース」が、バローズ登場、及びそれ以後のサイエンティフィック・ロマンスの歴史を取り上げているので、こいつも参考にする。それと、ジャーン!野田宏一郎先生の「SF英雄群像」。もう十年も前に、つまり資料もとぼしかった時期に、あそこまでやったというのは、ひたすらに頭が下る。データ的にも正確だし、それをやるのがどんなに大変が、今にしてよくわかりました。尊敬。

(以下次号)


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 鏡明氏による冒険SFの系譜に関する連載エッセイ。第8回だが、それ以前はダイムノベルのヒーローなどを語っていた。これから、バローズネタが続くので、引き続いて掲載していく。乞うご期待。

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