ERB評論集 Criticsisms for ERB


瀬川昌男「新しい文学の担い手」

ぎょうせい刊火星の王女解説より

Jun.1983


 バローズの名を知らぬ人も、ターザンの原作者ときけば、うなずかれるでしょう。この『火星の王女』、原題"A Princess of Mars"は、そのターザンの生みの親である、アメリカの作家エドガー・ライス・バローズが書いたスペースオペラの傑作「火星シリーズ」の第一巻で、かつ、彼の処女作でもある作品です。
 SF(Science Fiction)の始祖とされる、フランスの作家ジュール・ベルヌの『海底二万里』が刊行されたのが1869年、そして、このシリーズにも収録されているH・G・ウェルズ(イギリス)の『宇宙戦争』の刊行が1898年のことですから、バローズがこの『火星の王女』を書いた1911年ごろには、すでにSFは文学の新しい形として、その幕をあげていたということができましよう。
 しかしながら、それが今日のようなブームとなり、大喝釆をもってむかえられるようになるまでには、いまひとり、登場しなければならぬ役者があり、また演ずるべき出し物がありました。それが、ほかならぬ千両役者バローズであり、そのバローズ演ずるところのスペースオペラであったのです。
 ところで、スペースオペラとは、要するに、西部劇と同様な悪者退治の冒険活劇であって、ただ、その舞台を西部の広野から宇宙へ、地球外の異質の世界へともちだしたもの、ということができます。したがって、そこに登場するのは、いわずと知れた天下無敵の英雄と、悪の化身たるにくむべき梟敵、そして、その悪漢にしいたげられた美女というのか通り相場であり、物語は勧善懲悪、邪はそれ正に克ち難く……ということにきまっています。これを単細胞的といってしまえばそれまでですが、複雑怪奇な現代に生きるわたしたちにとっては、ときに、それがむしろ、日ごろの、鬱屈した胸の溜飲をさげさせる一服の清涼剤ともなるわけで、それが、この種のドラマの人気が、いまだに、いっこうに衰えぬゆえんと申せましよう。とりわけ子どもたちは、正邪の別の明確なことを好むことは、いうまでもありません。
 さて、この『火星の王女』の筋立ても、とうぜんながら、英雄対悪漢そして美女、という図式にしたがっています。かたや英雄は、元南軍の勇士である正義漢ジョン・カーター。かたや悪漢は、凶悪無残な緑色人、そして、すくうぺき美女は赤色人の姫名デジャー・ソリスというわけで、物語は、ジョン・力ーターが、アリゾナの広野でインディアンに追いつめられたあげく、摩詞不思議な霊体移動? によって、軍神の星火星(マルス)に到着するところからはじまります。
 かくて、さっそくカーターの前にあらわれるのが、惨殺を最高の娯楽とこころえる、緑色人の巨漢の一隊。カーターは、なかば捕虜として、その仲間にくわわるうちに、とらわれの美女デジャー・ソリスを愛し、艱難辛苦のすえ、彼女を救出、ついに、めでたくむすばれるという運びです。
 しかし、話はこれで終わったわけではありません。せっかく、むすばれはしたものの、その幸福もつかのまの夢、とつぜん大気工場の事故により、火星世界は全滅の危機に瀕します。ここでふたたびカーターの大活躍……。しかし彼は、みずからの決死の努力が、実をむすんだか否か知ることもないまま、その霊魂を、地上にのこした肉体へと、よびもどされてしまうのです。
 いじょうで、この本に収録した第一巻の物語は終わりですが、じつは、もちろんこれには第二巻以降のつづきがあるわけで、それをくわしく物語ることは、また別の機会にゆずらざるをえません。
 しかし、主人公たちの運命が気がかりな読者のために、ひとこと書きくわえておくと、第二巻で、カーターはふたたび火星へ霊体飛行。またも、かずかずの冒険をかさねたすえ、ついに愛するデジャー・ソリスや、すでに卵から、かえっていた子どもと対面することになります。ですからとうぜん、第一巻の最後でのカーターの努力はむくわれ、火星はすくわれたことになるわけです。
 なお、この本は、できるだけ原作にそって、忠実にご紹介するようつとめたことはもちろんですが、なにぶんにも原稿枚数の制約もあり、また、子どもむけということもあるので、あまり血なまぐさい表現や、複雑な人間関係(とくに、ソラがじつはタルス・タルカスの娘であるといったくだり)の記述など、一部割愛したり、省略したりしたことをおことわりしておきます。

 最後に、バローズの略歴をご紹介しておきましょう。
 バローズは、1875年9月、シカゴに生まれました。父親は軍人で、自分も軍人志望でしたが、士官学校への進学には失敗。事務員、会計係、カウボーイといった職を転てんとしたのち、1900年に結婚しています。しかしその後も、鉱山師、セールスマン、鉄道保安官……と、いっこうに職がさだまらず、そこへ子どもも生まれて、生計は苦しくなるいっぽうでした。ところが1911年に、たまたま書いた、この『火星の王女』――そのときは『火星の月の下で』というタイトルでした――が有眼の編集者に認められ、雑誌に掲載されたところ、たちまち大あたり。かくて、いちやく作家としての地位を確立することになります。しかも、その翌年書いた『類猿人ターザン』が、前作をしのぐ大好評で、さらにその地位を不動のものとしたのです。
 以来バローズは、この『火星の王女』や、ターザンものの続編をはじめとして、多くの作品を書きつづけていきましたが、その数は、ターザンシリーズだけで全26巻。スペースオペラとしては、火星シリーズが11巻。金星シリーズが5巻。そのほか、月世界もの3巻。地底に舞台をとった(本来の意味からは、スペースオペラとはいいがたいわけですが)ペルシダーシリーズ全7巻などがあります。
 作家として成功してからのバローズは、カリフォルニアの、のちにターザナと命名されるようになった土地に、大きな家を建てて住んでいましたが、第二次大戦ごろからはハワイヘ住み日本海軍の真珠湾攻撃にも遭ったといいます。さらに、従軍記者として第一線にも出陣、おおいに活躍したそうですが、戦後、持病の心臓病が悪化、1950年2月に74歳で、みずからも英雄的であった、その生涯をとじました。
 しかし彼の死後もその作品の人気はすこしも衰えることなく、今日なお、世界じゅうに、バローズのファンクラブがあり、機関誌を発行するなど、さかんな活躍をつづけています。


ホームページ | 語りあおう