ERB評論集 Criticsisms for ERB


武部鈴江『絵のほかのこと』

岩崎書店刊武部本一郎SFアート傑作集3 宇宙の騎士たち解説


 はじめて武部と月面を見たのは、終戦間もない京都壬生の長屋でのことでした。彼は毎晩のようにボール紙の大きな平面になめしをかけて、長い筒を作っていた。初めはそれが何なのか判らなかったけれど、1メートルぐらいの筒に小さな筒を組み合わせ、ひそかに磨かせたレンズを取りつけて大きな天体望遠鏡を作りあげたときは、おどろきより馬鹿にしたものでした。
 “ちょっと見てごらんよ、こんなに月がよく見えるよ”というので、のぞいて見るときらきらと一面に氷砂糖をたたきつけたような明るい月が見える。よく本などで見るクレーターというあばたのようなものまで見える。もう馬鹿にするどころではない。その時土星の輪も見た、火星の赤い大きな輝きも、木星の衛星群も、オリオンも、天の川もあんなにはっきりと見たのは、後にも先にも、これが初めてで最後のことになってしまった。
 そのすぐ後、まだ完全に固定していなかったレンズが、あっという間に落ちて粉みじんにくだけ散ってしまった。彼の気落した顔。なぐさめようもなかったけれど、これでお手製で出来ることが判ったのだから又レンズを磨いてもらえばとなぐさめたけれど、そのあといくら新しいレンズを求めてきても、二度とあの時のような美しい映像は見られなかった。そして彼も作る情熱をだんだんなくしていったようでした。
 そして今度は12星座の額を彫刻しはじめました。さそり、白鳥、獅子、蟹、射手、又しても毎夜毎夜のことになりました。何故か彼の作業はいつも夜。せまい4畳半のまくら元で、ガリガリバリバリとされると、眠られたものではない、時には文句の一つもいいたくなる。でも、そうして幾つも幾つも作った彫刻が、今はもう一つも残っていない。あれはどうしたのだろう。一つ一つ小さな絵をつけて長いこと飾ってあったのだけれど、誰か可愛い女の子にでもあげてしまったのかも知れない。
 その次一番長く続いたのはバラではなかったかしら。ようやく壬生の長屋をひきはらって、小さな家を宇多野にたて、3本のバラをバラ展で買い求めた。シャル・マルラン(赤黒いビロードのような大輪花)、ピース(うす黄色のはなびらのふちがピンクの大輪花)、コンヒダンス(中高の香りたかいピンクの花)、これはいずれも名花中の名花で彼は又々熱中。今度は庭土を全部バラによいという赤土に替え、当初植えたいちょう、もみじも皆近所の人にあげ、エトラルドホーランド(黒赤のつるばら)、マダム・メリー・キュリー(黄色)、ミッシェルメーアン、エデンローズ、ファーストラブなどなど、庭中をバラの畠にしてしまった。
 彼のやることのあまりの迫力に、花の大好きだった私も手の出しようもなくあきれて見ているうちに、人間の通る道もなくなり、ようやく洗濯物の干場を獲得するのがやっとであった。
 この分ではどうなるのかと思っている時、昭和29年春のこと、少年画報社の方が見えて、劇画の運載の依頼を受け東京へ。月影四郎という熱血少年柔道家の話でストーリーも絵も彼のものであった。ペンネームは宇多野武といった。しばらくバラ作りは私の管理にまかせられた。
 その後、本式に東京にうつり住んだのは32年6月、子供たちも6年生と3年生、末の娘は2歳であった。狛江の家では庭もせまいし土が悪かったので、たいした花造りは出来なかったけれど、36年三鷹に住むようになってからは、又々公団住宅の前の庭をバラで一ぱいにしてしまった。管理人は私に文句をつける、でも彼には何もいわない、きれいですねなどという。花の時季にはカメラを持った人が多勢あらわれて、彼の心をますますバラ作りべとかりたてる。そして武蔵野バラ会のコンテストで優勝、市長盃を獲得した。その頃ちょうど『火星のプリンセス』が始まった。華麗なもの、美しいもの、花も女性も星も月も彼にとっては皆同じ情熱の対象であったのでしょう。
 第1巻の『火星の美女たち』のゲラが一周忌にとどけられ、子供たちと富士の墓前で1枚1枚彼に見せていると、胸がつまって涙があふれ、最後まで見せることが出来なかった。
 彼は書きあげた画を私が見ないと怒る、そして私の好き勝手な言葉を喜んできいてくれる。だからどの1枚も私の知らない絵はない。彼のたく山のどの画もどの画も皆その時交した会話を呼びおこし、このバック、この船艇、この衣裳、この木、このバスト、ウエストと見ていると、子供たちの前で見せたこともない涙があふれて最後まで見せることができなかった。今こんなに立派な本にしていただいて、彼が生きていて、一緒にこれを見ることができたらと思うと、涙が止まらない。彼はきっというでしょう、これは気にいらないから書き直すよと。そしてなかなか画集は、出なかったことでしょう。
 生前、画集を出して下さると計画して下さった学研の浜口さん、又徳間書店の方、創元社の方々の御好意に感謝いたします。そして上京以来、深いかかわりあいのあった岩崎書店からこのSF傑作集を3部、編集長の小西様、小野様の御努力で出していいただけて、こんなうれしいことはございません。ありがとうございました。


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