嗚呼懐古火星の神神

野晒 悟

(1974年7月7日発行『ベム第11号』より)

 バローズの火星シリーズが創元新社から刊行されてもう足かけ9年。その後、他社から刊行されたものも、かなりの数をさばいたそうです。
 火星シリーズのファンはいったいどれくらいいる勘定になるのか、ちょっと見当がつかないでしょう。
 ところで、日本にスペースオペラブームを巻き起こしたこの記念碑的な作品が戦前に翻訳されていたという事実を知っているファンはあまり多くはないようです。しかし、島本光昭氏が「宇宙塵」108号の“日本SF史概説”および117号の“バローズ翻訳史”の中で言及しておられるように、火星シリーズはすでに大正末、わが国に翻訳紹介されていたのです。いわばわれわれは、火星シリーズの戦後派のファンということになります。
 シリーズといいましても翻訳されたのは1巻のみ、シリーズ中2巻目にあたる"The Gods of Mars"(創元推理文庫版の訳題“火星の女神イサス”)で「中学生」という雑誌に“神秘小説・火星の神々”という題で大正12年1月から1年8ヶ月に渡り、つごう18回連載されました。
 雑誌「中学生」は、大正5年4月に研究社から創刊されました。月刊でサイズはA5判、中学生向けの総合雑誌とはいえ、当時としてはまことにモダンな雑誌です。もちろん今の雑誌のように受験一辺倒の内容ではありません。終刊は詳しい資料がないのでわかりませんが、大正14、5年頃のようです。当時中学生向けの雑誌といえば、一番長い伝統を誇っていたのが博文館の「中学世界」(明治31年9月創刊)。次が富山房の「学生」(明治43年4月創刊)この2大誌が旧制中学生(今の高校生にあたります)程度の読者層を席巻していたわけです。
 この2大誌の読者層に食い込むため、「中学生」編集部は海外記事および翻訳小説等にかなり力を入れていたようです。そのためか、SFとか怪奇小説等の翻訳も多く、火星シリーズもベルヌの月世界旅行(Autour de la Lune)が“長編科学小説・月世界へ”という題で、大正10年7月から11年5月まで小田律という人の訳で連載されたあと、大正12年1月号からの連載小説として企画されました。
 大正11年12月号に“ちつと許りの新年特別号予告”というページがあります。その中に連載2小説と題し、ベーブ・ルースの自伝小説「黄金のバット」とともに「火星の神々」が連載される旨が予告されています引き文句がおもしろいので写してみましょう。

「猿人ターザン」の連載小説と活動映画で世界を唸らせたバローズが遙かに空想を恣まにした火星小説!
花の如き火星の王女を妻とする地球の快男児が如何に不可思議の世界に於いて活躍するか見給へ、第一回はアリゾナの険崖より彼の血紅色の大星へ!!

 人猿ターザンの作者とあるように、当時バローズはターザンの作者として知られていました。その理由はやはり活動写真の影響でしょう。ターザン映画の日本初公開は大正9年ユニヴァーサル映画の配給で多数日本で公開されたようです。
 一方翻訳の方は私の知る限りでは「人猿ターザン(Tarzan of the Apes) 」という題で単行本が出ていたほかに、「中学世界」(博文館)にも“人か獅子か”という題で訳載されたことがあります。詳しくは覚えておりませんが大正10年頃です。こういった事情から火星シリーズが翻訳されることになったのは明らかです。
 おなじく「中学生」大正11年12月号の“編集楼上より”という編集後記にあたる欄を見ると当時、野尻抱影氏の主幹であった中学生編集部が原書を取り寄せた旨の記事が見られます。

 まず以て「猿人ターザン」と同著者の「火星の神々」、ホームランキング自作の「黄金のバット」は中学生がわざわざ外国から取り寄せたもので日本の読者界でも知る人が稀である筈の痛快な小説、正に諸君を喜死せしむ可きものであると信じます……

 当時「中学生」の記事は外国のブックレビューにより、丸善に取り寄せさせたものを資料としたものが多く、バローズもこの一例だったことを野尻抱影氏に書簡により教えていただきました。
こうして“神秘小説・火星の神々”は翌年の大正12年1月号より、本多秀彦という人の訳により連載されはじめます。原書で300ページ以上、ペーパーバック(バランタイン版)では190ページにもなる長編ですから、当然のことながら抄訳ですが、なかなか要領よく訳してあります。さわりの部分を少し写してみましょう。

 暫くは、もの凄い叫と、跪躍との混乱の中で、ぴかりぴかりと雷光のような一本の長剣が閃いてゐた。樹人の足が飛び、手が千切れ、首がごろごろと転る。どさんどさんと倒れる。併し緑人は、武士一人を残すばかりとなつた。そして漸く血路が開けたと見るや、彼は、ひらりと見を躱し、絶壁の下の茂みを目がけて走り始めた(8巻1号、18ページ原文のまま)
血ひ立つた私の剣の冴えに兇悪な二匹の白猩猩は四つになつて倒れた。(中略)私は九人の慄く少女達を背負って背後に庇つて突立つた。さあ、こい! 此の盛んなる戦の庭で武士にふさはしい最後を遂げるなら、地球人の本望だ。ヂヨンカーターは満足する!私は長剣を青眼に構へて目を八方に配つた。(8巻9号、54ページ原文のまま)

 もちろん“ぴかりぴかり”“ごろごろ”という表現は、原書のどこにもありませんし、長剣を青眼に構えたという下りにいたっては、完全に訳者の思いつきですが、我々にそこまでいう権利はないでしょう。翻訳というものは、ある意味においては、訳者の創作と同一なのですから。とまれ、通読してみたところ、だいぶ活動写真の影響を受けていることが確かなわけで、なかなか面白かったというのが、私の読後感です。
 訳者の本多秀彦という人、詳しい経歴はわかりませんが、当時「中学生」の編集主幹をしておられた野尻抱影氏の教え子(野尻氏は、研究社に勤める以前、甲府中学の英語教師をしていた)で、そういう縁で、バローズの翻訳をまかせたということだそうです。余談ですが野尻氏は東京の世田谷区にご健在で、この話も氏からの書簡で知りました。野尻抱影氏は天文学者で作家。故大佛次郎は氏の末弟にあたります。現在、五島プラネタリウム理事。さて、話をもとに戻しましょう。
 連載は1回につきだいたい8、9ページ、井上愚美のイラストが毎回2つほど入っています。井上愚美は本名伊丹万作、後の映画の巨匠です。作家伊丹十三の父親で故人。
 それまでのイラストとはかなり勝手が違うので、だいぶ苦心したようです。中にはとてもいただけないのがありますが、その内よく描けているものをいくつかご覧いただきましょう。
 火星シリーズのイラストとしては、創元推理文庫に描いておられる武部本一郎氏の右に出るものはないと思いますが、武部画伯を別にしたら、池内氏のイラストはかなりいい線をいっていると思います。私としては好きなイラストです。デジャー・ソリス(本多秀彦氏は“デヂャ・トリス”と訳してます)なんか、なんというか、純日本風な顔立ちをしていますし、ジョン・カーターもなかなかよく描けています。惜しむらくは、登場人物がすべてかなりの厚着をしている転ですが、これはこれでまた捨てがたい味があります。
なお「中学生」の挿絵はほとんどが無署名の上に、池内氏は時折絵のタッチを変えているので、画家名が判明するまでかなり苦労しました。しかし、それにも関わらず、連載の最後の号(大正13年8月号)の絵だけは池内氏の描いたものだと断定するだけの調べはつきませんでした。
 さて、こうして“火星の神々”は順調に連載を続けますが、突如、降ってわいたような災難が持ち上がります。大正12年9月1日、前日の8月31日に10月特大号“阿弗利加奇譚号”の最終校正をすまして、編集部がホッと一息ついていた直後、関東一帯を襲った大震災のため、帝都は折りからの強風にあおられ、炎の海と化しました。
 幸いなことに研究社のあった麹町富士見町界隈は類焼を免れましたが、当時まで「中学生」の印刷を引き受けていた築地活版製造所が全焼したため、他のグラビアや原稿とともに“火星の神々”の原稿も一握の灰と化してしまいました。このために“火星の神々”は1回休載せざるを得なくなってしまいます。
 写真は原稿の大半が焼失し、普通号と同じ厚さになってしまった大正12年10月号ですが、震災で大抵の本や雑誌の版元が焼け、小売店の8割方が全滅し、肝心の印刷所さえ大手では博文館印刷所しか残らなかった当時のひどい状況の中で、10月号が無事発行できたのは、やはり研究社が業界の大手で猛火の犠牲となることを免れたためでしょう。これが別の小出版社だったら休載どころか、雑誌そのものが廃刊せざるを得なくなっていたわけで、誠に幸運だったと言えます。
 また、余談になりますが、震災直後「中学生」編集部には読者からの見舞い状がどっと寄せられたそうです。中には10月号が出るのかそうか直接知らせてくれと郵送料を同封して問い合わせるものがいたり、心配のあまり、焼け跡の中を研究社のある富士見町まで歩いて安否を確かめにきた読者もいたというから驚きです。いかに「中学生」という雑誌が愛読されていたかよくわかります。一時、発行部数は5万部ほどまでいったと聞きました。
 さて“火星の神々”はこうして1回休載されましたが翌11月号には無事に続載されます。大正12年度は震災を受けた各出版社の協定で11月号で終了。翌13年の1月号からは稿を新たにして“火星の王子”と改題し、8月号で大団円となるまで連載されます。当時の読者の反響ですが、「活動にしたらすばらしい」「大ターザン以上だ」とか「まるで悪夢の中ででも見ているようなシーンの連続だ」とか、やはり活動の盛んな時期だけにそれに引っかけた賛辞が多く、中には「読んだ後、仁丹を飲んだ後のように気持ちがよくなるという投書もあります。

「火星の神々」!なんて痛快な文字でせう、私は本誌が私の机の上に載せられる時、私は直ぐ此の名を思ひ出します。実際、血わき肉おどると言ふのは此の事でせう、私はヂョンカーターの名はいつまでも忘れません。
(大正12年7月号読者欄より)

 こういう投書を見ると、こっちまでうれしくなってくるから不思議なものです。特にイサスが登場してからは「あの醜怪なお婆さんには驚いた」とか大詰めになってくると中には

「あやに畏き玉の御姿」と大の男を足下にひれ伏さて居たイススの狸婆さんも、愈々首と胴とがグッドバイする時が来ましたね。カーターも今度はやり損じないでしょう恨み重なる仇敵なのだから……
(大正13年7月号読者欄)

 といったような調子でエキサイトしている読者もいて、1年8ヶ月に渡る長期連載にもかかわらず、読者がだれる様子はなく、なかなか好評だったようです。
 連載されるたびに読者を一喜一憂させた“火星の神々”は大正13年8月号でデジャー・ソリスが太陽宮に幽閉されてしまうシーンで大団円となり、当時の編集後記の言っているように「誠に悲劇的な結末」を迎えてしまいます。
 ご存じのように火星シリーズは1巻から3巻までが3部作をなしています。惜しむらくはどういう事情があったかはわかりませんが、訳載するのに一番中途半端な2巻目を訳してしまったことです。連載のはじめではしがきと称して6、7行さき、ある程度の不自然さを補い、途中でカーターが火星の天国の謎を解くためにデジャー・ソリスのもとを離れたのだと訳を変えてありますが、最後の結末は途中のキャラクターの面白さや舞台の大仕掛けな展開に打たれて読んでいた読者にかなり心残りな感をいだかせたのではないでしょうか。火星人の不思議な習慣やカーターが危機にのぞむとき必ず現れる口元の不思議な微笑等々、1巻目の「火星のプリンセス」を読まねばわからない、火星シリーズの力を増している細かな因子がすべて省かれてしまっているのは誠に残念です。火星シリーズがターザンに比べて戦前、これ以外に訳されなかったのは、ターザンと違い、映画にならなかったためももちろん挙げられますが、「猿人ターザン」の著者の火星小説であるという理由で取り寄せたものが、実はシリーズの2巻目であったという作品選択時の調査の不徹底(というよりも不運か)が原因の一端になって いるような気がします。
 とまれ、火星の神々が好評だったことは事実ですし、戦前に少しでもファンがいたと言うことは私のような火星シリーズの愛好者にとっては誠にうれしいことです。
 私が生きている間に火星に行けるか否かはわかりませんが、もし行けたら、そこは光瀬龍氏の描く過酷な世界ではなく、カーターやデジャー・ソリスがいて、緑色人や赤色人がソートに乗って走り回る世界であってほしいと思っています。

―end―

comment

 いきなりで驚きだが、なんと大正時代に紹介(翻訳)されていたバローズの情報である! 大正12年(1923年)といえばバローズが作家としてデビューしてから10年足らず。日本の編集者も、見る目があったものと感嘆する他はない。もっとも、「猿人ターザン」の著者、とあるから、ターザンはすでに映画が公開されて大ヒットを記録し(大正9年・1920年)、訳書も出ていたようだが。
 掲載誌は雑誌『中学生』。旧制だから現在の高校生の年齢の生徒を対象とした総合雑誌で、研究社から刊行されていた。訳されているのは『火星の女神イサス』。〈火星シリーズ〉第2巻で、何とも中途半端な選択である。たまたま編集部が入手したのが第2巻だった、ということなのだろう。これが『火星のプリンセス』だったら、と思わなくもないが、それはいわない約束。
 訳者の本田秀彦氏は編集主幹・野尻抱影氏(作家・大佛次郎の兄)の英語教師時代の教え子ということだが、なかなかに格調高くもノリのいい訳文で楽しませてくれる。
 イラストも意外といい。女性がかわいらしく描かれていて、好感が持てる。描いているのは池内愚美というひとで、本名は伊丹万作。あの自殺した伊丹十三氏の父親です。下のスビアなんて、かわいいでしょう? 同じ顔した(笑)ファイドールや、こちらはきれいなデジャー・ソリスなど、紹介したい絵はたくさんあります。乞うご期待。
 以上、情報源は岡田正也氏発行・編集のSFファンジン『ベム』第11号(1974年7月発行)に依っています。『SF美術館』の井岡さんより提供していただきましたコピーにより紹介させていただきました。また、最近(2013年)になって、この39年前の同人誌がまだ残っているということで、譲っていただく機会を得ました。高井信さまには感謝に堪えません。いわゆるタイプ・オフセット誌ですが、雑誌・中学生を紹介するページは高級な紙に写真製版(?)で、きれいに再現されています。素晴らしい情熱です。あわせて掲載されている遠藤幹雄氏の評論「ERBについて」とあわせ、バローズ・ファン必携の1冊、と言っていいかもしれません

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