ERB評論集 Criticsisms for ERB


厚木淳「フランケンシュタイン・テーマの傑作」

創元推理文庫モンスター13号解説より

Dec.1978


 バローズはタイム・トラベルを含めてSFの基本テーマをほとんどとりあげているが、本書は、その中でももっとも古典的な、気違い科学者(マッド・サイエンティスト)とフランケンシュタイン・テーマに取材したSFである。
 バローズが本書を執筆したのは1913年のことで、「オール・ストーリー」誌の11月号に「魂のない男」 A Man Without Soul という題で発表され、1929年に単行本化された折りに「怪物たち」 The Monster Men に改題された。この1910年代というのは、バローズが「 火星シリーズ 」と「 ターザン・シリ―ズ 」の発表によって人気作家としての地歩を固めた時期で、事実、バローズならではの独創的な各種の冒険小説を失継ぎ早に発表していた実り多き時代に当たっている。つぎからつぎに創作のアイディアがあふれるように湧きあがり、それを、これは「火星」に、これは「ターザン」に、そしてこれは単発物にと振り分けるのに忙しかったくらい、創作力の旺盛な時期だったのである。本書にしても、着手したのが3月31日、脱稿したのが5月10日というから、正味40日で一気呵成に書きあげたわけで、軽快なテンポといい、渡瀾万丈のプロットといい、バローズ・ファンを堪能させる面白さを充分に備えている。人造人間は人間であるか? 人造人間には魂があるのか? 人間が創った魂のない人間と、神が創った魂のある人間が結婚することは、神が許すところか? さらには、その両者から生まれた子供には魂があるのか、ないのか? 作者が最後にヒーローとヒロインに突きつけた命題は、これである。しかも、この設問は半世紀たった今日でも、キリスト教国のSF作家たちによって、すでに納得のいく回答がくだされたとはいえない難題 なのである。(最近、世界的な話題になった試験管ベビーの誕生をすら、ローマ法王庁は早速、断乎として否定する声明を発表したことを思い出していただきたい)。バローズは、この難間を実に巧妙な一種の鬼手を用いて、快刀乱麻を断つごとく解決している。読者はSF冒険小説の痛快さとともに、本格推理小説のトリックにも似た、もっとも意外な人物(モースト・アンライクリー・パースン)の登場に意表を突かれたことと思う。
 ところで、本文より「あとがき」を先に読む癖のある読者は、ここで本文にとりかかっていただきたい。
 13号のブランが最後に記憶を回復した時、自分の父親は都市間輸送会社の合併に手をつけた人物だ、ということばを洩らす場面がある。日本の読者は、ははあ、ブランの父親は運送会社の社長、つまりトラック野郎の親玉か、くらいの軽い受けとりかたをするのではないかと思うので、以下、蛇足めいたことを付記する。
 19世紀後半から今世紀へかけて、資本主義発展の最盛期を迎えたアメリカでは大富豪が陸続として誕生したが、その中でも群を抜く存在が、鉄鋼王と石油王と鉄道・運輸王で、彼らの知名度は当時、大統領以上といわれていた。前者がカーネギーとロックフェラー、後者がC・モーガン、E・H・ハリマン、C・ヴァンダービルトなどで、彼らの企業が吸収・合併をくりかえして寡占態勢を確立し、さらに金融資本との提携によって、20世紀の世界を動かす国際的大財閥が形成されていく。自動車王フォードが台頭するのはこのあとである。つまりブランはアメリカ屈指の財閥の御曹子というわけで、それと結婚したヴァージニアは、物心両面で最高の幸福を保証されたのだと、作者は言外に匂わせているのである。

注:この文章は厚木淳氏の許諾を得て転載しているものです。


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