ERB評論集 Criticsisms for ERB


厚木淳「石器時代に憑かれた男」

創元推理文庫石器時代から来た男解説より

Nov.1977


 エドガー・ライス・バローズ、通称ERBは別名〈ターザンを創った男〉であり、〈ジョン・カーターを創った男〉でもあるが、もう一つ、彼の本領を表わす別名を進呈するとなれば〈石器時代に憑かれた男〉ということになるだろう。ERBの強烈な原始への回帰願望、野性への讃歌、文明の虚飾に対する痛烈な諷刺と嫌悪感、文明の進歩とともに人類(ホモ・サピエンス)の堕落が開始したという深刻な認識には読者もすでにおなじみのことと思うが、Back to the Stone Age! 〈石器時代へ帰れ!〉という呼びかけこそは、まるで合言葉のように、彼の主要な作品の背景に一貫して流れる執拗な通奏低音なのである。
 バローズの著作リストによると――「美女の世界ペルシダー」巻末参照――本書は単行本としては23冊目で1925年に刊行されているが、実際に執筆されたのは、彼が独創的な代表作を失つぎばやに世に送っていた最初期の1910年代である。すなわち本書の第一部は Nu of the Neocene「新第三紀のヌー」というタイトルで1914年3月7日号の〈オール・ストーリー・ウィークリー〉に一挙に掲載され、第二部の Swwtheart Primeval「原始時代の恋人」は翌1915年の1月23日号から2月13日号の〈オール・ストーリー・カバリアー・ウィークリー〉に連載され、この一、二部を合わせて1925年に The Eternal Lover「永遠の恋人」という題名で単行本化された。そしてさらに作者の死後工ース・ブックからポケット・ブックとして刊行された際には The Eternal Savage「永遠の野蛮人」に改題されたという、少々ややっこしい来歴を持っている。
 さて、本書は第2章で脇役を務める人物たちの紹介がなされるが、この人物たちを素通りするわけにはいかないので簡単に触れてみよう。グレーストーク卿夫妻、これはいうまでもなく〈ジャングルの王者〉ターザンとその妻のジェーン・ポーター・クレイトンのことで、黒人の乳母工ズメラルダの腕の中で眠っている赤ん坊は、後年〈コラク・ザ・キラー〉として活躍するターザンの息子である。なお、ターザン夫妻の領地と住居の説明が具体的になされたのは、本書が初めてである。つぎにヒロインのビクトリア・カスターの兄のバー二ー・カスターと友人のバッツオー中尉の二人は、バローズの前作 The Mad King「ルータ王国の危機」でめざましい活躍をした人物であり、作者は前作の主役の妹を今回は主役に仕立てたことになる。ちなみにこの The Mad King「ルータ王国の危機」は、架空のヨーロッパの王国の宮廷を舞台にした恋と陰謀の渦巻く冒険小説で、バローズの作域の幅の広さを示す異色作である。
 この時期のバローズの小説には、執筆当時作者が触発されたにちがいない先人の作品を容易に指摘できるものが多い。今述べたThe Mad King「ルータ王国の危機」の場合は、アンソニー・ホープの「ゼンダ城の虜」であり、「時間に忘れられた国」の場合はコナン・ドイルの「失われた世界」であり、そして本書「石器時代から来た男」の場合は、明らかにライダー・バガードの名作「洞窟の女王」が作者の念頭にあったにちがいない(いずれも創元推理文庫刊)。「洞窟の女王」のヒロインはローマ時代の乙女で、彼女がアフリカの秘境に君臨して二千年来、恋人の再来を待っているという幻想的な設定であった。これに対してバローズの木書は、石器時代の男と現代のアメリカ娘が十万年という時間を超えて再会するというストーリーである。ハガードのヒロインは生命の秘法を会得して、二千年のあいだ、若さと美貌を保ってきた神秘的な女性である。それに対してバローズはこの十万年という歳月の空白をいかなる形で埋めるのか? 訳者はここにこそバローズの天才を見る思いを禁じえないのだが、SFという概念が成立していない1910年代にあって、作者は今日いうところのタイム・トラベルの手法を鮮やかに駆使してこの難題をみごとに解決している。男も女も、なんらの特異能力を持ち合わせてい ない。ただタイム・トラベルの契機となるのは地震である。そしてこの地震の背後にあって、十万年の時空を超えて二人の男女を駆り立て、たがいに引きよせ、結びつけているのは、連れ合いとなる念願の日の直前に挫折した不滅の恋の激情と怨念であろう。バローズの作品としては珍しい、まことに珍しい悲恋の物語だが、作品の完成度と迫力は、彼の全作品中でも5指にはいる傑作といってよい。
 なお、同じように石器時代の恋と冒険を主題にして、本書よりもいっそう手厳しく現代文明への批判を試みた作晶に、The Cave Girl,1925「石器時代へ行った男」がある。南大平洋の島に標着したボストンの富豪の一人息子――つまり虚弱で自意識過剰な現代のインテリ青年が突如として石器時代の環境に投げ込まれた場合、いかなる状況が発生するか、そのケースを追求した、これまたバローズ好みの作品である。木書とはある意味で対になる作品なので引きつづき紹介する。

注:この文章は厚木淳氏の許諾を得て転載しているものです。


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