ERB評論集 Criticsisms for ERB


森優「バロウズの最高作」

ハヤカワ文庫SF月の地底王国解説より


 あえて誤解を恐れずにいうならば、エドガー・ライス・バロウズはSF作家ではない。少くとも、アメリカにおいて彼が史上かつてない人気を博した大衆文学の第一人者であったというとき、それはあくまでも野生の英雄“ターザン”の生みの親としてのバロウズであって、けっして“ジョン・カーター”の創造者としてのバロウズではなかったという事実、さらにそのジョン・カーターをヒーローとする〈火星シリーズ〉さえも、それがはじめてわが国に紹介されたときその爆発的な人気を支えた読者の大半は、SFについては何の知識ももたぬごくふつうの小説ファンであって、SFファンといえるほどの人はそのごく一部を占めるに過ぎなかった、という事実を指摘するだけで充分だろう。
 といっても私は、バロウズの書いたものがSFではなかった、と言っているのではない。それどころか〈ターザン・シリーズ〉の中にさえSF的なものがいくつかあるほど、彼の創作とSF性とは不即不離の関係にある。
 しかしバロウズの諸作がアメリカ国民のあらゆる階層に強くアピールした最大の理由は、そのSF的アイデアにではなく、あくまでも読者をして必ずその作品の世界に引きずりこまずにはおかぬ、その徹底した娯楽性にこそ求めなければならない。一瞬の渋滞もない流れるような物語展開、典味深いエピソードのたくみな積み重ねと、二重三重のシチュエーションの同時進行とが生みだすサスペンス、効果的なフラッシュバック技法の使用――バロウズこそはまさに天性のストーリー・テラーであった。
 その作品にあっては、SF的要素はただ、読者を現実から完全に遊離させ、遠い冒険とロマンの世界に送りこんで英雄的な主人公と渾然一体化させるための手段として、使われたに過ぎないのだ。彼が好んで使った物語の舞台が、火星、金星、月、地球内部、あるいは暗黒大陸アフリカや絶海の孤鳥、人類滅亡後のアメリカといった、現実とまったく隔絶した場所に限られているのは、そのことの証左である。
 その意味で私は、バロウズをジュール・ヴェルヌやH・G・ウエルズをはじめ、ソ連のツィオルコフスキーやドイツのハンス・ドーミニクら、近代の科学的合理精神の触媒作用によって生みだされた正統派SFの流れをくむ作家ではなく、むしろホーマーの〈オデッセイ〉や北欧のサーガやドイツのジークフリート伝説、さらにはアラビアンナイトの〈船乗りシンドバッド〉などから源を発し、時代を超えてつねに民衆に愛されつづけてきた冒険ロマンの伝統を受けつぎ、そこに多少の疑似科学的な粉飾をほどこして、現代の民衆へのアピールに成功した作家だ、と思うのである。
 そこには、人類や社会への諷刺も深刻な文学観もこみいった心理描写も難解な哲学も出てこない。男らしい男、女らしい女、善と悪ははっきり区別され、正義は最後に必ず勝つ典型的な通俗冒険小説といえる。単純といえば単純だが、それをけっして説教調のありきたりの勧善懲悪小説にしていないところが、バロウズを凡庸な他の大衆作家と同列におけぬゆえんであろう。
 読者は彼の小説の第一頁を開いた瞬間から、主人公と共に遠い異郷への旅に立ち、想像を絶する数々の冒険にまきこまれて、せちがらい浮き世のストレスを忘れることのできる数時間を、必ず保証されるのだ。

 エドガー・ライス・バロウズは、1875年9月1日、シカゴに生まれた。かつて南軍の少佐だった父親の影響で軍人を志望してウェスト・ポイント陸軍学校を受験したが失敗し、あきらめて父の経営する電池製造工場に勤めた。25歳で結婚、その後10年間に書記、カウボーイ、鉄道保安官、鉱山師、その他いろんな職業を転々とし、事業の経営にまで手を出したが、どれも長くはつづかなかった。
 事実かどうかは不明だが、彼が文章を書く動機となったのが、そのころ『事業を成功させる法』というハウツーもののゴースト・ライターをやったため、といういささか皮肉なエピソードが伝わっている。
 1911年、35歳にして初めて彼は Under the Moons of Mars『火星の月の下で』という長篇を書きあげた。さっそく当時の読物雑誌オール・ストーリイ誌の編集部にもちこんだところ、これが編集長トマス・ル・メトカーフにいたく気にいられ、同誌翌年2月号から6回連載の形で幸運のデピューを果たしたのだ。
 この処女作こそ、のちに有名な〈火星シリーズ〉全12話の発端篇として Dejar Thoris, Princess of Mars 『火星の王女デジャー・ソリス』と改題のうえ刊行された記念すベき作品である。
 このシリーズだけでも、バロウズの声名は後世に長く伝わることになっただろうが、同年10月号から第2作として連載を開始した Tarzan of the Apes 『類猿人ターザン』によって、彼の作家としての成功は完全に決定的となった。以後このターザンは、火星シリーズをはるかにしのぐ人気シリーズとして23巻も書き続けられていくことになる。
このターザンがいかに絶大な人気者となったかは、小説としてだけではなく、マンガ、新聞、ラジオそして映画と、当時のマスメディアのあらゆる分野に登場し、世界中でもてはやされたという事実が何よりの証拠だ。数字でいえば、ハードカバー本に限ってもアメリカ1国で約1,500方部売れた、というから他は推して知るベしである。
 その後少年時代からの念願がかない、第一次大戦には陸軍少佐として従軍、また第二次大戦のさいもわざわざ志願してロサンゼルス・タイムズ紙の特派員となり、B29爆撃機にも乗って爆撃行に加わるほどの愛国者ぶりを発揮した。
 そして1950年3月、全世界のバロウズ・ファンに惜しまれつつ他界した。享年75歳、まさに一世を風靡した大衆文学界の巨人の功成り名遂げた大往生であった。

 ターザンものをぞくぞく発表するかたわら、バロウズが好んで書きつづけたSF的な作品はひじょうに多い。それが〈火星シリーズ〉をはじめ、地球内部の大陸を舞台とした〈ペルシダー・シリーズ〉、金星を舞台とした〈金星シリーズ〉など、すでにわが国に紹介された諸シリーズと、この〈ムーン・シリーズ〉ほかの未紹介作品群である。
 〈ムーン・シリーズ〉は、構成話数こそわずか3話と少ないが、1923年から25年にかけ、パロウズの筆がもっとも円熱したころに書かれたもので、彼の全著作のうち、南太平洋上にある右史前の生物が棲息する巨大な島を舞台とした、やはり未紹介の〈時のロスト・ランド・シリーズ〉とともに、もっとも秀れた長篇と定評のあるシリーズである。
 アメリカのSF評論家サム・モスコウィッツが「エンターテインメントとして、SFファンからもっとも高く評価される古典」と呼び、同じくスカイラー・ミラーが「バロウズの書いた作品として、またSFとしてベスト」と評していることをお知らせすれば、どんな作品かだいたいおわかりいただけよう。
 なお、本篇につづく The Moon Men (1925年)と The Red Hawk (同)の2作も、枚数の関係上1冊にまとめ、近い将来、本文庫に収録される予定である。


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