バローズ贋作小説


『ペルシダーに還れ!』


2.サゴスとの対決

 空回りするドリルの空転音だけが静まり返った早朝の海岸の中空を占拠していた。近くにとまっている、護岸工事用のショベルカーなどと比較して、その巨大さは際だってもいた。小説で読んで空想していたときは全長30mという大きさには小さいというイメージがあったが、実際に目の当たりにしてみると乗り物としてはかなり大きい。わたしはもう、これは鉄モグラだと決めつけてしまっていた。
 「鉄モグラって何よ?」
 突然の背後からの声に、目の前のものに集中しきっていたわたしは背筋を緊張させたが、すぐにその声の主である、妻のほうに振り向いた。両手には、ふたりの子供まで引き連れている。
 「でてきたのか? 待ってろっていったのに」
 「大地震で今にも崩れそうな家の中に家族を残してひとりで飛び出しておいて、待ってろはないでしょう。それで、何よこれ。新手の工事機械? こんなものを見に、家を飛び出したの? もう近所の人みんな、大騒ぎよ。小学校の体育館に緊急避難だって。すぐこないと」
 「話すと長くなる。ただ……これはぼくの推測なんだけど、もう当分地震はないと思うよ。ここのところの群発地震も含めて、今回の地震の原因はこいつなんだ。この鉄モグラが地殻の岩盤を掘削しながらあがってきて、今朝、ゴールしたってことじゃないかな。さっきの大地震はこいつが地上に顔を出すときの衝撃だったんだろう」
 「何いってるの?」
 妻がいぶかしげな表情でわたしをにらむように見つめた。すぐに理解できないのもムリはないだろう。わたしだって、信じがたい思いなのだから。だが、説明する過程で、少しずつ考えは整理されてきていた。そうした意味では、妻に感謝すべきかもしれない。
 「とにかく、こいつを調べないと。こいつが鉄モグラだとすれば、その出発地はペルシダーってことになる。恐竜と石器時代の世界、地底世界ペルシダー。それが実在するとなると、とんでもない事件だぞ、こいつは。……あっ」
 何かに憑かれたようにわたしがつぶやいていると、突然、鉄モグラの胴体の中腹の内側からどんどんと叩くような音がして、付着した土塊を崩しながら、その部分がトビラ状に開いた。わたしの心臓は高鳴ったが、同時に危険も感じた。鉄モグラに乗組員がいる! デヴィッド・イネスかアブナー・ペリーか、それとも……マハールか。
 「ゴリラ!」
 まだ保育園に通っている息子が大きな声で叫んだ。トビラの向こうから顔を出してきたのは、想像した翼竜のマハールよりははるかに人間に近いものだったが、人間そのものではなかった。腕や足の長さ、体長とのバランスは均整のとれたスポーツマンのそれと言ってよかったし、十分に発達した頭部を持ち、チュニックをまとい、腰布を身につけ、サンダルを履いているさまは現代人と呼ぶには抵抗を感じるにしても人間的な特徴ではある。だが、チュニックの下のからだ全体は褐色の剛毛におおわれていて、面相ときたらまだ小さな息子がゴリラと思ったのも無理はない獰猛なものだった。間違いない。バローズの小説にでてくる猿人、サゴスそのものだ。
 わたしは素早く辺りを見回して、海岸にうち捨てられたゴミの山から1メートルほどの長さの棒を拾い出すと、へっぴり腰ながらそれをかまえた。サゴスがバローズの書いた小説どおりの存在なら、マハールの手下となって人間狩りをおこなっていたはずだ。少なくとも友好的な人種ではない。わたしだけならば逃げ出すところだが、妻や子がいる。逃げるわけにはいかない。
 「子供を連れて逃げてくれ」
 敵から目を離さぬまま、妻に呼びかけた。目の端におびえた妻がふたりの子供をかかえて後ずさる姿が映る。これでよし。わたしはあらためてサゴスに向けて棒をかまえた。およそ喧嘩や格闘などとは縁がなかったし、運動神経にも自信はないが、小学校から中学にかけて5年ほど剣道をならったことがあったから、少なくとも構えはさまになっていると感じていた。不思議と手にも足にもふるえはなかった。未知の敵への恐怖がなかったわけではないが、愛読していたバローズの作中の生物と相対しているのだという感激がわたしの気分を高揚させていたのかもしれない。
 サゴスの動きが意外なほどに鈍かったのもわたしの心に余裕を与えていた。急に飛びかかられていたらパニックを起こしていたかもしれないが、呼吸を沈めるだけの猶予をこの敵は与えてくれた。鉄モグラでの長旅の疲労があるのかもしれないと思った。あるいは酸素不足で朦朧としているのかも。だとしたら、ここは先手必勝だ。わたしは棒を握り直すと、構えを崩さぬまま、じりじりと前に進んだ。サゴスの片手には石斧が握られていたから、遠慮はいらないと思った。その腕が振り上げられる前に突っ込もう。そう決心すると、「うわぁーっ」と力強いとも言い難い声を発して、異世界の怪物向けて突進を開始した。
 彼我の距離は4、5メートルほどに縮まっていたから、勝負は一瞬だった。思いのほか、サゴスの動きは鈍かった。石斧が肩までもあがらぬうちにわたしの棒は猿人の前頭部に振り下ろされ、まっぷたつに割れた。勢いのついたわたしの体はとまらずにそのまま突っ込み、サゴスともどももんどり打ちながら鉄モグラの開口部から内部へと突っ込んでいた。
 1メートルくらいは落下したかもしれない。衝撃と暗闇が、わたしに襲いかかった。どこに打ち付けたのか、からだのふしぶしが痛んだが、さいわい頭は打っていなかったので、すぐに正気を取り戻した。手探りすると、まわりを壁がおおっていることに気づいた。どうやら、鉄モグラの最外壁の内側に落ちただけで、チューブの中に入ったわけではないようだった。
 朝日が開口部から差し込んでいたので、薄暗いと入ってもすぐに目は慣れ、視界が開けてきた。わたしのからだの下では、サゴスがぴくりとも動かずに横たわっている。殺してしまったかもしれない。相手は異形とはいえ人間にきわめて近い形態の持ち主だったから若干の気持ち悪さは感じたが、気分が高揚していたせいかそれほど深く悩むことはなかった。やらなければやられていたかもしれないのだ。むしろ、この猿人がもう敵ではなくなったことに安堵して、わたしはゆっくりと辺りを見回した。
 狭い空間に、細い隙間が見えた。円形のトビラ状のものの縁から、かすかに光が漏れているのだ。これが扉だとすると、鉄モグラの本当の内部に入れるのかもしれない。レバー状の取っ手を握ると、簡単に扉は開いた。サゴスが脱出の際に開けたまま、閉めていなかったためだろう。鉄モグラの姿勢が不自然なせいかドアの開き方も斜め上に開ける形で入りにくかったが、好奇心に勝るものはなく、わたしはその狭い隙間から中に入り込んだ。
 同様のドアが、あと2枚続いた。最後のドアはリング状のハンドルで強固に閉められていたが、全力でまわすと、やがてわたしの力に屈したように軽くまわりだした。
 ドアが開いた。一瞬おくれて、殺気を感じた。わたしは右手を振り上げた。そこには今倒したばかりのサゴスの石斧が握られていた。ふと思いついて護身用にと拾っておいたものだ。ドアの内側の暗闇の中で鈍い音がして、何かがけしとんだ。続いて、金属音が狭い室内に響き渡った。ドアの手応えから何者かが内部から開けさせまいとしている様子を察知していなければ、やられていたかもしれない。わたしが打ちとばしたのは石槍の穂先だった。
 「誰だ」
 わたしは緊張で手を振るわせながら、暗闇のむこうの存在に対し誰何した。言い終わってから、愚問だったかもしれないと思った。サゴスが乗り込んでいた鉄モグラの乗組員なら、最高に上品な存在であったとしてもペルシダー人だ。日本語が通じるはずもない。――だが、返ってきた応えはそんなわたしの冷静な判断を消し飛ばすのに十分なものだった。
 「あなた、日本人なの?」
 一瞬、耳を疑った。呆気にとられていると、暗闇の中で何かがごそごそと動く音がして、出し抜けに昼のような明るさが室内を照らした。人工の明るさだと思った。何者かが照明をつけたのだろう。わたしは明るさに目を細めながら、しかし目は閉じずにその行為の主を捜した。
 豹に似た淡い斑点模様の皮でつくった1枚のローブをまとい、1本の皮ひもで腰のまわりをしばった身なりの女が、穂先の折れた槍を片手に毅然と胸を張って佇立していた。身長はわたしと同じくらい。よく引き締まったスポーツ選手のような肢体にも均整のとれた目鼻立ちにも非の打ち所がなかった。テレビで見る芸能人のような浮ついた華やかさとは無縁の、内からにじみ出る美しさがあった。漆黒の豊かな髪が頭頂部で束ねられているが、いまほどの衝突の影響か、一部がほつれて広く盛り上がった額から紅潮した頬に垂れていた。
 「わたしの名は〈美女サトコ〉。あなたの名をおいいなさい」
 バローズが描写したとおりのペルシダー人の美女の口からでたことばは、日本語だった。

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