バローズ贋作小説


『ペルシダーに還れ!』


3.地底世界へ

 石斧を手にしたまま、わたしは驚きにしばらく言葉を失った。そうでなくてもこのような見も知らぬ人物と対峙するなどという経験の乏しいわたしが、互いに武器を手にするという緊張を要する場面でとるべきではない行動をとってしまったのはやむを得なかったともいえるが、その一瞬の油断の代償は大きなものだった。後頭部に鈍痛を感じたと同時に全身の力が抜け、視界に霞がかかった。雲の中を泳いでいる火のような感覚の中で、わたしはかすかに、先刻の地震を思わせる激しい縦揺れが襲ってきたのを感じていた。わたしの体が宙を舞うのが認識できた。両の腕は先ほど打撃をうけた頭部を保護する位置にあったから、深刻な打撃はうけなかったが、腕や背中、膝など全身いたる箇所に衝撃を感じた。いまはそうでもないが、あとで痛んでくるにちがいない。もしかすると、骨くらい折れているのではないか。そう思わせるほどの衝撃だった。
 いきなり天井に向けて落っこちたような衝撃は、しかしすぐに終わった。細かな振動や轟音は響いていたし、足もとがゆらぐ感覚もあったが、さほどのものでもない。逆にこのことが刺激になって、わたしは自分の意識が明瞭さを取り戻しつつあるのを感じていた。わたしの意識が遠のいていたのは、時間にすればわずか数分のことであったに違いない。わたしは記憶をたぐり寄せながらみずからを取り巻く状況を理解し直し、ついで頭を被っていた腕のあいだからあたりをうかがった。
 ふたりの人影が目に入った。壁にしがみついたまま背を向けているのは先ほどの美女、そしてその隣で壁に向かってなにやら手を動かしているのは……サゴス! バローズが作中に描写したとおりの猿人、意識を失う直前に美女が立っていたあたりから、こちらを振り返った。
 「きさま、生きていたのか」サゴスの言葉もまた、明瞭な日本語だった。猿人は面倒くさそうにつづけた。「とどめを刺すより出発を優先したのが間違いだったな。てっきり死んだのだと思ったが、甘かったか。さすがに地上人はしぶといものだ」
 これには、先ほど美女がしゃべったとき以上に驚かざるを得なかった。日本語だから、というだけではない。人間らしさの希薄な猿人が流暢な言葉をしゃべるという驚きがあったのだ。だが、ただ驚いてばかりもいられない。わたしは握りしめたままだった石斧をかまえ直すと、ゆっくりと立ち上がった。
 「死んでたまるか。うしろから襲うとは、卑怯なヤツだな。そこを動くなよ、さっきと同じく、いや今度こそ、息の根を止めてやる」ふだんのわたしならまず口になどしないような芝居がかった言葉が、興奮状態の高さを如実に示していた。わたしの全身をアドレナリンが駆けめぐるのを実感できたような気がした。
 「へたに動かないほうがいいのはあなたのほうよ」壁にそなえられた安全ベルトのようなものにつかまりながら、美女サトコと名のった女もまたゆっくりとわたしのほうに向き直った。「サゴスに殴られた上に、下に方向転換した衝撃で壁に叩きつけられて、死んでしまったものと思っていたのにね。でも、繰り返していうけれど、動かないほうがいいのはあなたのほうよ。よく見るといいわ、この〈鉄モグラ〉の操縦桿はわたくしたちが握っているということを。地上人の体力はたいしたものだというけれど、この狭い空間で暴れたりしたら命の保証がないのはあなたも同じよ」
 わたしは石斧を握ったまま、呆然とその話を聞いていた。そうしながらも、巨大な船体ががたがたと振動しているのは感じていた。壁面の円形の窓――あとでそれは外部モニタだということがわかったのだが――には、粉々にくだけた土塊がうなりを上げながらとんでいくさまが映し出されている。〈鉄モグラ〉はふたたび地中を掘削しながら突き進んでいるのだ! 
  「わかったら、おとなしくするんだな」サゴスは感情を込めずにそういい放つと、ふたたびなにやらレバーやメータが並んだ背後の壁に向かった。
 一呼吸おいてわずかだが気持ちを落ち着かせてからよく見ると、サゴスは背もたれのようなものに身を預け、ベルトで体を固定して、操縦席のようなものに向かっている。手には昔のSF映画に出てきた宇宙船かなにかのような操縦桿。間違いない、先ほどの衝撃は乗り込んだ〈鉄モグラ〉が方向転換したときのものだったのだ。それまで上を向いていたドリルが、下に向き直り、ふたたび地殻を貫いているのだ。操縦席全体はジャイロのようなフローティング構造になっていて、急な方向転換時は慣性が働いて大きな揺れが生じるが、それ以外は常に重力方向が下を向く位置を保つようになっているに違いない。足下の床がわずかに揺れているのは、そのためだろう。
 わたしは事情が飲み込めるにつれ、恐怖が襲いかかってくるのを感じずに入られなかった。「操縦桿をひいてくれ。地上に帰るんだ。地上には家族だっているんだ――」
 「それが出きるくらいなら、最初から地上なんかに来ちゃいない」
 サゴスは操縦桿から手を離すと、わたしのほうに向き直った。「〈鉄モグラ〉は空中以外で方向転換などできないんだ。いまもいろいろ試してみたが、結果は同じだった。空中以外では、この操縦桿はぴくりとも動かん。まったく、とんでもないものをつくってくれたものだ。おれたちだって、こんなひどい旅をしたくてしているわけじゃないんだからな」
 そうだった……。バローズの作中に出てくる天才科学者アブナー・ペリーは、さまざまなすばらしい発明品を作り上げているが、その多くはどこか抜けていた。その最たるものとして、ペリーと若き鉱山主デヴィッド・イネスを乗せた地底掘削機〈鉄モグラ〉はなんと地底では方向転換ができない構造だった! だからこそ、ペリーもイネスもはからずも〈鉄モグラ〉の試運転時に地底世界ペルシダーに旅立つハメになってしまったのだった。
 「地上に出たら、武器でも手にいれてから戻るつもりだったんだが。とんだ邪魔が入ってしまった」猿人はみずからを拘束していた安全索をはずすと、壁を探ってなにやらとりだし、わたしのほうに向かってきた。その手には、拳銃のようなものが握られている。「さっきはよくも殴ってくれたな。今度こそ殺してやる!」
 サゴスは目をむいてわたしのほうへ向かってきた。わたしの背筋を冷たいものが伝った。
 「おやめなさい。かれは地上人よ。おまえが正面から向かっていって勝てる相手ではなくてよ」
 「なにをいう! ギラク一匹ごとき、ひねりつぶすのは造作もないこと!」
 サゴスの向かってくるようすは、最初は恐怖だったが、すぐにそれは消え去った。猿人は銃をこん棒かなにかのようにただつかんで突っ込んでくるだけだったのだ。こいつは銃を知らない! しかも、襲いかかってくるその動きは、最初に地上でみたとき同様、スローモーなものだった。子どもの戦闘ごっこの相手をする感覚で、わたしは振り下ろされるこん棒がわりの銃の横に身をすべらせると、サゴスと交差する瞬間、その脚を払った。猿人はもんどりうって倒れ、銃を取り落とした。わたしは振り向くと、素早くその銃を拾い上げた。
 銃を撃ったことがあるわけではない。だが、ドラマや映画で、撃つシーンは見たことがある。わたしは見よう見まねで銃をかまえると、安全装置をはずし、引き金を引いた。銃声が響き、中途半端なかまえかただったからだろうか、腕が反動で天を向いた。手に残るしびれ、かすかな紫煙と残響、そして鼻を突く火薬のにおいが、わたしの意図が果たされたことを告げていた。
 「殺したの?」
 美女サトコがそばに寄ってきた。わたしは身構えた。これまでの言動から、この女が味方であるはずはなかった。
 「殺すつもりはなかった」
 「それはうそね。致命傷を負わせようという確かな意図を持って狙ったというわけではないだとうけど、命を救おうとも思わなかったはずよ。身を守るためなら相手はどうなっても、くらいのことは考えたからこそ、狙って引き金を引いたのでしょう?」
 言い当てられて、わたしは口をつぐんだ。その通り、深く考えてとった行動ではない。必死だっただけだ。殺されないために反撃する、そのときに相手の命をおもんぱかってなどいなかった。わたしの放った弾丸はサゴスの顔面を直撃していた。血の海に沈む猿人は表情が読みとれぬほどに顔相が変わってしまっている。言葉はなく、四肢はぴくりとも動かない。おそらくは即死だろう。わたしは、自分がしでかした事実をじょじょに理解しつつあった。猿人とはいえ、その命を奪ってしまったのだ、わたしは!
 「わたくしも殺す?」
 涼しい表情で、わたしの目をのぞき込みながらいう美女サトコに圧倒されるように、わたしは半ばどもりながら、なんとか応えた。「き、きみが味方だとは思えないからね。身を守るためなら……」
 「男が女を殺すというのね。地上のモラルというのはそういうものなの?」
 美女サトコは凛として言い放った。わたしは圧倒されるしかなかった。なぜこの女はこうまで堂々としていられるのだろうか? いま、味方が目の前で殺されたばかりだというのに――
 「そうね。損得を考えるなら、おやめなさい。このままでもペルシダーにはたどり着けるでしょうけれど、地上しか知らないあなたがそこで生き延びられる保証はないわ。その点は、わたくしも同じ。女ひとりの力で生きていけるほどペルシダーは甘くない。でも、ふたりなら、可能性は高いわね」
 美女サトコはその均整のとれた肢体にふたたび安全ベルトを巻き付けはじめた。「あなたもそのサゴスのかわりに席についたほうがいいわ。この〈鉄モグラ〉は、けっこう揺れるのよ」

 サトコの言葉どおり、体を左右に揺さぶられるような大きな揺れは何度も襲ってきた。地層の境でも通ったのだろうか。そう話しかけてみても、美女は困ったような顔をするだけだった。不思議なことだがこの女は、言葉は流暢で知性も感じさせるが、拳銃さえ知らなかったサゴス同様、その知識は――少なくとも科学や人間が発明した文明に関する事柄については――無知と言っていいようだった。
 かみ合わない会話を続けるうちに数時間が経過していたに違いない。気がつくと、室温がかなり上昇していた。足もとに汗がたまっていくのがわかる。のどが渇いたが、水はないということだった。
 「地上で補給するつもりだったのだけれど、とんだハプニングで急発進することになったから」
 わたしが悪いというわけだ。反論しても、水が湧いてくるわけではない。のどが渇くのはわたしだけではなく、この女も同様なはずだから、うそをついているということもないだろう。ため息をつくしかなかった。
 「食べ物も、ないんだろうなあ。もう、おなかがすいてきたよ」
 「食料なら、そこにあるわ」
 美女サトコは眉ひとつ動かさずに、その流麗にとがったあごを操縦席の片隅に向けてみせた。そこには、額を打ち抜かれたサゴスの死体があった。
 一瞬その意味をつかみかねたが、しばらくして理解すると、わたしはおもわず驚きの表情を美しい横顔に向けていた。「きみは、サゴスを──仲間を食べるというのか?」
 「“サゴスだったもの”よ。仲間ではないし、いまはサゴスでさえないわ。ただの肉塊よ」
 「……農耕民族にはついていけない感覚だな」
 「地上では肉を食べないの?」
 こたえることはできなかった。そう、われわれだって肉は食べる。鳥をかわいがって育てる一方、焼き鳥を食べたりする。肉食民族を批判できる根拠はない。先ほどまで言葉をしゃべっていた存在を食料として見るという習慣がないだけだ。
 「ぼくは結構。きみは食べないのか?」
 「サゴスの肉は固いのよ」
 わたしはふたたび言葉を失なうしかなかった。

 それから、何時間が経過しただろうか。わたしたちのあいだには、ほとんど会話はなかった。彼女は、言葉は流暢だが知識の絶対量が少ない。いや知識の種類がわたしと一致しないというほうが正しいのかも知れない。考えてみるまでもなく当然の話で、地上にいてさえ、国境を越えれば言葉も文化も考え方も違う民族は数多くあるのだ。ましてやフィクション以外では地上人の認識のうちには存在しない地底世界の住人と、共通の文化認識があるというほうが不思議だ。強いていうなら目に入るものがわずかな話題の種だったが、狭い操縦席に閉じこめられた状態では目に見える範囲のものも限られていて、すぐにその種も尽きた。
 無言のまま、時間は急速に経過していった。気温は我慢ができないほどに上がったかと思うと、やがて震えるほどに寒くなり、そしてまた暑くなった。バローズの記述どおりの地底旅行が繰り返されているのだとすれば、ふたたび常温に戻ったときが、地底世界ペルシダーに到着したときだ。
 暑さと同時に、息苦しさも感じ始めていた。〈鉄モグラ〉に貯蔵されている空気は、片道2人分程度のはずだ。ゴールが近づくと、呼吸困難とも闘わなくてはならない。疲れと空腹が合わさって、目の前がふらつきはじめたとき、〈鉄モグラ〉の外周を包んでいた細かな衝突音がふっと消えた。砕かれた岩盤がボディの隙間を抜け、後方に排出されていたものが、なくなったのだ。〈鉄モグラ〉は地殻を抜けた。ついに、ペルシダーについたのだ。
 「ペルシダーだ」
 待ちきれずに一声叫ぶと、わたしは操縦室のリング状のハンドルに飛びつき、全力でそれを回しにかかった。空気だ、新鮮な空気が必要だ。やがて扉はわたしの力に屈して開いた。まだ外壁がある。壁面の突起に手をかけて1段上がると、そこにまた扉があった。最初に、サゴスともんどりうって倒れ落ちた扉だ。わたしはその扉を力任せに押し開けると、外に飛び出した。
 明るい光が目を刺す。まぶしさに目を覆ったわたしの左腕に、なにか石つぶてのようなものがぶつかった。
 〈鉄モグラ〉の外壁についていた土塊だろうかというわたしの疑問はつづく奇声によって消し飛んだ。鈍い音がして、石斧が横の壁を直撃する。あたりを見回したわたしの視界に入ってきたのは、10数人の原始人の戦士たちだった。

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