バローズ贋作小説


『ペルシダーに還れ!』


4.ふたりの美女


by さとさん




 最初、わたしは目を刺すまぶしさの中に幻影を見たのかと思っていた。薄暗く狭い操縦室内で過ごした長い時間を経て――地上で発生していた地震の期間からして、おそらくは3日に近い時間が経過していたはずだ――ようやくたどり着いた明るく解放された世界に救われた思いを感じて、深く考えることもせず、飛び出してしまっていたのに違いなかった。飢えと乾き、そして何よりも酸素不足の解消を何よりも求めていたわたしは、そこがどこかということも半ば忘れてしまっていたから、その突然の原始人種族の来襲は、あとから思われる以上にわたしの虚をついた事態であった。
 〈鉄モグラ〉の外壁を背に立ちすくむわたしを取り囲むように、10数人の兵士が手に手に槍や石斧をかまえて鋭い視線を向けていた。かれらを「原始人」と評したのは、その粗末な武器からだけではない。かれらは一様に半裸で、まったく粗末な身なりをしていた。毛深い獣の皮を腰に巻き付けているのと、足に履いた革製のサンダル以外はまったくの裸といってよい格好である。
 地上の価値観からいえば「原始人」としか表現できない風采だが、よくみるとそうともいいきれない部分もある。かれらの中に数人、腕や首に金属製の――おそらくは銀製ではないかと思われた――装飾品を巻き付けた兵士が混ざっていたのだ。その威風堂々たる立ち姿からして、族長か士官クラスの人物なのだろう。戦士の中に階位があるとすれば、それなりに高度な社会的生活をかれらは送っているということになるわけだが、そういった推察もあとから冷静になって振り返ればそう思われるということで、この時点では全員がただの原始人としてしかわたしの視界には映ってはいなかった。
 それ以外の身体的特徴として特筆すべきなのはかれら全員がたくわえている濃い顎ひげであろう。そして、形のいい頭に長身で筋肉質の非の打ち所のない体躯、何より毅然と胸を張るその姿勢には、地上で感じる原始人のイメージとは矛盾する気品のようなものさえ感じ取れた。そう、かれらこそ、まさしくバローズが描写した地底世界ペルシダー人そのものだったのだ。

 呆然とながめているわたしに対して、首と両腕の装飾品を輝かせたリーダー格と思える人物が、なにやら言葉を発してきた。少し甲高い、単音節のその声は、かれらの姿形とその口が動いて発せられたものだということを目の当たりにしていなければ、人間の言葉とはにわかに信じられないものであった。その言葉はわたしに向けて発せられたものに間違いはなかったが、そのことが理解できたのは、つづくかれらの行動があきらかにわたしを標的にしたものだったからだった。
 わずかな下萌えのほかは植物らしきものさえほとんど見あたらない不毛の岩場に、〈鉄モグラ〉はその巨大なドリルを突きだし、重低音を響かせながら空転している。日差しは強いが、影はあまり目立たない。真夏の昼間を思わせる日の高さだが、耐えられないほど暑いということもない。風は頬をなでるのが感じられるほどで、過ごしやすい気候と思われるが、このときは背筋に冷や汗が流れていて、気温のことなどに思いはいたっていなかった。まわりの状況が判断できたのは、ずっと後のことだ。わたしは自分をめがけてとんでくる石つぶてから身を守るのに必死だった。
 かれらがもう少し正確に、そして力強く石を投げることができていたなら、わたしなどはあっという間もなく打ち殺されていたかも知れなかったが、現実は石の飛ぶ方向は不正確で、威力もさほどではなかった。ただ多勢に無勢ではいかんともしがたく、反撃のいとまも与えられぬまま、わたしはふたたび〈鉄モグラ〉に戻ろうと振り返った。そして、わたしは思わず動きをとめる光景を目の当たりにした。〈鉄モグラ〉の入り口であるハッチの前には、ふたりの女性が立っていたのだ。ひとりは今回の旅の同行者である原始人の美女、そしてもうひとりは――わたしにとっては見なれた、地上風の服装に身を包んだ、若い女性だった。

 「だれだ!」
 思わず発したわたしの叫びに、ふたりの女性は顔を上げた。ふたりとも、日本人の感覚として違和感を感じない顔立ちをしている。異国風ではない、ということだ。少なくともアジア系であることは間違いない。
 「いまは危急のときでしょう。そのような問いかけは愚かしいことね」
 〈美女サトコ〉は無表情のままいいかえすと、ひとりでハッチをくぐった。もうひとりの女が、その動きにうながされるように、少しあわてたそぶりでそれにつづく。わたしもそのあとを追うように中に入った。ハッチを閉め、リング状のハンドルを回してロックすると、一足先に戻ったふたりに続いて、操縦室に歩を進めた。
 「〈美女サトコ〉……さん。もうひとりのかたは――」
 「えと、あの――」
 犬を恐れる幼女のように、美女サトコの背後に隠れて恐怖の面持ちでわたしのほうを盗み見ながら、その女は口を開いた。その言葉はやはり日本語だ。
 「わたし、わたしも、さとこです。あの、ここでは、〈美貌のさとこ〉と呼ばれています……」
 消え入るような声で、その女はいった。実際、語尾ははっきり聞こえないほどだった。
 〈美貌のさとこ〉? 〈美女サトコ〉といい……ニックネームと名前を組み合わせた呼称はペルシダーの風習とはいえ、似通った名を持ったふたりの、名前のとおりの美女をまえに、わたしはいささか拍子抜けしたような気分を味わっていた。原始人の襲撃という危機を、意外とあっさりと切り抜けたことでほっとしたというのもあったかも知れない。
 「あなた、日本人ね? よかった、ひとりですごく心細かったのよ。言葉も通じないし、裸の原始人の捕虜になっちゃうし、もうおしまい、わたしの短かった青春もジ・エンドねとか思っていたら、大地震が来て、このへんてこりんな、サンダーバードの出来損ないみたいなのがきて、きゃー文明の利器だわとか思っていたら、中から原始人じゃないみたいな人が出てきて、それってあなたのことなんだけど、それでまたびっくりして、とにかく原始人よりはマシかしらとか勝手に思って、でもいきなり声はかけづらいしとか思っていたら、この人が出てきたから、いやこの人も原始人みたいだけどなんかこざっぱりしててだいいち綺麗だし、わたしもきれいだけど、なんちゃって、とにかくそれでどうしようかなと思っていたら、この人、日本語はなすじゃない? やったーとかおもってたらいきなりあなたが、だれだ、とかいうからびっくりしちゃって、思わずこの人追いかけて中に入っちゃったんだけど、よくよく考えたらあなたの言葉って日本語だったじゃない? これって、助かったってこと? とか、思ってて、それで――」
 「……わかったから、ちょっと静かにしてくれ」
 〈美貌のさとこ〉はおしゃべりだった。
 「えっ、でも、わたしどうしたらいいかわかんなくて、だって突然こんなところに来たじゃない? 男は原始人しかいないし。ずっと昼だし、虎だっているし、恐竜だっているし、男は原始人しかいないし」
 「……えらく男にこだわるね」
 「だってわたし、美人ですもの。男って、美人をほおってはおかないものでしょう?」
 たしかに、〈さとこ〉は美しかった。〈美貌の〉といわれるのも故なきことではないのだろう。わたしや〈美女サトコ〉と並ぶと肩ほどまでしかない小柄な体格だったが、胸や腰は女性らしいかたちをしていて、そのうえウエストは細くくびれており、服を着た上からでもスタイルの良さは十分にうかがえた。肌の色は決して白くはないが、悪感情を誘うような黒さではない。しばらく前にはやっていた「ガングロ」ではなく、一昔前の「健康的な小麦色の肌」という印象だ。肌荒れやあばたの見えないきめの細かな肌がそうした印象のもとになっているのだろう。目の色は少し薄めのブラウンで、おしゃべりをしているあいだは楽しそうにいきいきと輝いている。鼻は少し大きめだが鼻梁は高く筋が通っていて、やはり大きめの血色のいい唇とあわせて、〈美貌〉と呼ばせたくなるような強い印象を発散していた。毛先に少しウェーブのかかった肩までの髪は明るい茶色で、その顔の印象を強めている。
 「悪いけど、ぼくは美人が苦手なんだ」
 わたしは操縦席のモニタに目を移した。〈美貌のさとこ〉と目を合わせていたら、いつまでたっても話は終わりそうにないと思ったからだ。モニタには、先刻の原始人たちが映っていた。人数は20人に満たないくらいだろう。あいかわらず、遠巻きにこちらをうかがっている。
 「かれらはどこの部族か、知っているかい?」
 「カルヴィ族よ。といっても、焼き肉じゃないんだけど。ところでわたしはよく焼いた上カルビが大好きだったんだけど、ここに来てすっかりレアになれちゃって、わたしももうすぐ原始人? みたいな、ことも思ったりするんだけど、でも――」
 「……かれらは、デヴィッド・イネスのことはしっているのかな? ペルシダー帝国のことは?」
 「おそらくは知らないでしょう」答えたのは〈美女サトコ〉だった。「イネスやペリーが支配したのは地上でいうアメリカの内側に当たる世界の、一部にすぎない。ここはほぼ反対側になるわ。帝国の版図からははずれている。だから――」
 〈美女サトコ〉は言葉を区切ると、モニタを指し示した。石斧と石つぶての、原始的な武装の戦士たちが半狂乱になって壊走する姿がそこにはあった。一瞬、何ごとかわからなかったが、モニタに映った影がその状況を雄弁に説明した。
 巨大な翼竜の影。シプダールと、そしてマハールによる、人間狩りが、はじまっていたのだった。

つづく



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