ERB評論集 Criticsisms for ERB


森優「読者が実現させた英雄の再復活」

ハヤカワ文庫特別版SFターザンの凱歌解説より


  ターザン・シリーズ の第1作『 類猿人ターザン 』を書きあげたとぎ、バロウズが果して続篇を予定していたかどうかは、はっきりしないと第2作『 ターザンの復讐 』の解説で書いた。内容的に見ても、たとえばターザンとジェーンとが結ばれるかに見えて結ばれない、という結未など、読者に、ひょっとしたら、という期待を抱かせたにちがいない。
 しかし、その二人の仲も、第2作の終りではメデタシメデタシとなる。恋敵は死ぬし、悪人は捕まるし、第1作の結未以上に、統篇を期待させる要素は乏しいように思われる。ちょっぴり引っかかる個所といえば、悪人ロコフの相棒パウルヴィッチが捕まらずじまいなことや、オパルの女司祭長ラーがターザンを根みつつ別れたこと、また、ターザンが、奪ってきたオパルの財宝の一部を、「使い果たしたら、またとりにいく」と公言したあたりだが、これとて、統巻の存在が現在では周知の事実であるからともいえよう。
 少くとも、バロウズが、ちょうど〈 火星シリーズ 〉を最初三部作とする構想であったのと同様に、ターザン物語を正続2巻で一応完結させる意図をもっていたことは、否めないようだ。
 実際、1913年1月に第2作を脱稿すると、彼はターザンから背を向け、〈 地底世界シリーズ 〉第1作『 地底世界ペルシダー 』を皮切りに、6本の作品を書きあげるまで、この野生の英雄に体息をあたえることになるのである。(なお、この作品順については、パロウズ研究家の一人ヘンリイ・ハーディ・ヘインズのリストと食い違っているが、あちらは作品の発表年度で、ここでは執筆順で記しているので念のため)
 だが、ターザンほどの魅力に満ちた強力なキャラクターを、読者が放っておくはずはない。ちょうどコナン・ドイルが、名探偵シャーロック・ホームズを、小説の中でいったんは殺しておきながら、読者の熱望にほだされてとうとうもう一度甦らせざるを得なかったように、バロウズもまた、ターザンをふたたび呼び戻すことを、余儀なくされたのだ。
 それほどに、この“類猿人”が読著にあたえた印象は、強烈だった。いい変えれば、作者バロウズのキャラクター設定が、非常にうまかったということである。すでに第1巻の解説で述べたことだが、映画やコミックスのターザンと違って、小説におけるターザンのキャラクターは、きわめて複雑なところがある。人間として自然に備わった知性の故に、野獣の世界に溶げこめず、他方身についた野性の故に、人間社会にも完全に適応できないという設定は、スクリーンやマンガ上の極端に単純化された冒険ヒーローとは、まるで遣う。ターザン小説のファンは、そこに惹かれたのだ。
 加えて、細流がしだいに集まって大河となるように、主要人物を幾つかの別々のシチュェーションに置いて、映画のカットバック型式に交互に描いていき、はめ絵バズルのようにしだいに一堂に会する運命へと導いていくパロウズの技法は、べつに目新らしいものではないが、彼の小説の性格上、きわめて効果的だったといえる。
 彼はだれにも教わることなく我流で小説を書き始めたといわれるが、またたくまにその効果的な技法を身につけたというのも、物語作者としての天稟に恵まれていたなればこそであろう。
 とにかく、そうしたターザン小説の魅力にとりつかれた読者の熟望が、ついに翌年(1914年)の春、ターザンの再々登場を実現させることになる。
 彼はその第3作 The Beasts of Tarzan つまり『 ターザンの凱歌 』を、第2作と同じようにその年1月と2月のたった2カ月で書きあげ、〈オール・ストーリイ・キャバリヤ・ウィークリイ〉(週刊誌)に、5月から6月にかけて連載した。その最終回分は、第1作『類猿人ターザン』の単行本がマックラーグ社から刊行されるほんの数日前であった。
 ところで、『ターザンの凱歌』を読まれた方は、ターザンの息子ジャック・クレイトンの唐突の出現に戸惑われるかもしれない。じつはこの赤ん坊の誕生の経緯については、第3作以前に書かれた作品の中に、すでに記されているのである――などというと、第1作、第2作を読まれた方はびっくりなさるだろう。そのどちらにもそんなことは1行も書いてないぞ。第一、ターザンとジェーンが結婚するのは、やっと第2作の結末でじゃないか、と。
 まったくその通り。じつはこのターザンの子供が生まれるくだりは、ターザン・シリーズとは別の作品、 The Eternal Lover『 石器時代から来た男 』(1914年)に出てくるのだ。この作品は前述の第2作と第3作のあいだに書かれた6作の1篇で、時間の流れの異変のため、新生代から突然現代に現われた原始人ヌーの物語だが、動物たちと会話ができるこの男が、一人だけどうしても話せない相手がいた。それがターザンだった、という設定である。
 この物語では、密林内の私有地で妻とともに優雅な生活を送っているターザンが、終始脇役として描かれ、ジャックは忠実な小間便いエスメラルダにかしずかれる小さな赤ん坊として登場する。
 したがって、正確にいえば、パロウズがターザンを正続二篇で打ち切ったとはいえないわけだが、それにしてもこのいかにも後日譚的な扱いようは、彼がこれ以上このキャラクターを活躍させるつもりがなかったからたと考えるのは、うがち過ぎであろうか。
 いずれにせよ、この作品は内容から見て本シリーズの正巻として収めるわけにはいかないが、全巻刊行の暁には、別巻として組みいれるつもりなので、ご期待いただこう。ちなみに、前出のヘインズのリストでは、この作品を続篇 Sweetheart Primeval(1915年)と合せて、ターザン・シリーズの第3巻としているが、アメリカのバランタイン版、エース版はいずれも、シリーズから除いており、本文庫もそれに準拠しておきたい。
 さて、最後にもう一言つけ加えると、本書は正直いって、アクートという名のなかなか知的で思実な類人猿のキャラクターが新らしく登場するほかは、さして目新らしさがない。おなじみの人物たちをおなじみのパターンで動かしているだけにすぎないといってもよい。シリーズ全体から見れば、マイナーなものに属するだろう。
 事実、バロウズ自身もそれに気づいていたと見えて、この作品を書き終ると、再び1年間ターザンから離れ、〈火星シリーズ〉や〈地底世界シリーズ〉、その他の作品にとりかかる。
 そして1915年に入ってからようやく、本シリーズに戻り、前年〈火星シリーズ〉で使ったテクニックをターザンにも応用することになる。つまりヒーローのジョン・カーターからその息子力ーソリスへ焦点を移したのと同様に、ターザンから成長した息子のジャックヘとヒーローを移し、二代目ターザンを誕生させたのだ。それが次巻 The Son of Tarzan『 ターザンの逆襲 』で、本書はその巻への橋渡し的作品として読んでいただければ、幸いである。
 ただし、刊行にあたっては、本シリーズの全貌をできるだけ早く知ってもらいたいとの企画意図から、配本順としては次巻がだいぶ後回しになることを、あらかじめお断りし、読者諸兄の御寛恕を願っておきたい。


 別巻はついに刊行されずに終わった。創元推理文庫があるからまあよいとはいえ、『ターザンの逆襲』にいたっては、だいぶも何も、どれだけ待たされたことやら……


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